家族不適応殺
新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像
インベカヲリ★著
KADOKAWA
社会の歪みが加害者と被害者に降りかかる

2018年6月、東海道新幹線の車内で、若い男が見ず知らずの女性2人と男性1人にナタで斬りかかり、男性を殺害、2人の女性に重傷を負わせるという事件が起こった(いわゆる東海道新幹線車内殺傷事件)。男はそのまま逮捕されたが、動機が「刑務所に入りたい」というもので、しかも裁判員裁判で無期懲役が宣告されると万歳を三唱するなど、その常軌を逸した行動に世間は驚愕したが、真の動機がなかなか見えてこない。そこで、ある写真家がその犯人に拘置所内で接見し、彼の過去や考え方などを探っていこうと試みて、そしてその結果をまとめたのが本書である。
こういう本は、何が彼を犯罪に走らせたかを解明することが目的であり、最終的に親の愛情不足とか周囲との軋轢とかいったことが原因という結論に落ち着くが、著者によると、この犯人については話をしてもなかなか実像が見えてこない。幼い頃から刑務所に入るのが夢だったとか、かと思えば犯行前に死に場所を求めて自転車旅をしていたとか、本人が著者に語る内容が支離滅裂な印象を与えるのである。
そこで著者は、この男の育ってきた家庭環境を洗い出すため、祖母や母親に直接会って話を聞き、その生育環境にスポットを当てるという方向に進む。やがてこの犯人が、同じ敷地内(愛知県岡崎市)に住んでいる叔父から常に「出ていけ」と言われ続けており、幼少時から自分の居場所を確保することができなかったということがわかる。また精神病院やシェルターに入っていたこともあり、精神病院からも追い出されていた前歴がある(院内でいろいろと問題行動を起こすためである)。つまり安心できる居場所として刑務所を想定していた、しかも幼い頃から……、そのために無期懲役になるため1人または2人の殺害を企てていた……ということが少しずつ見えてくる。同時に彼にはADHDの診断が出されており(むしろ自閉症スペクトラムが疑われるが)、思い込みが非常に強いタイプであることがわかる。そういう要素がいろいろと組み合わさった結果、この犯行が起こされたのではないかということが本書を通じて見えてくる……。ま、著者がそういう結論に導こうとしているわけだが、とにかく一応の動機解明まで行っているのがこの本である。
刑務所では肉親しか接見できなくなるため、本書の取材として行われた接見はすべて拘置所内であった。しかも1回あたり20分程度と限られていたため、思うような成果がなかなか得られなかったようであるが、その模様についても実況であるかのように詳細に書いているため、臨場感はある。このように聴き取りルポとして質が高いため、読んでいて引きずり込まれる。著者が感じる疑問も読者が共有できるような展開になっており、読物としてもなかなか面白い。
なお犯人は、本書執筆時現在、刑務所に収容されているが、内部で個人的に「対権力闘争」を展開しているらしくハンストを断行したりしたため、身体拘束された上で保護室・観察室に長いこと入れられているらしいが、本人はその状況に大変満足している様子であり、そのことが著者への手紙から窺える。手紙の内容は、
「分かった。分かった。分かったのだ。私が刑務所に入った目的が。それは『観察室に入る』こと。観察室に一生入り続けること。観察室は『岡崎』だ。私はついに『岡崎』に辿り着いたのだ。私はもう『岡崎』から出ていかないぞ。出ていけ、といわれても出ていかない。(中略)私は『岡崎』に居続けてやるんだ。万歳、万歳万歳。私は万歳を三唱する。観察室は素晴らしい。観察室は素晴らしい。観察室は素晴らしい。私は最高に幸福だ。……なんて冗談ですよ。私はまだ模範囚になることを諦めたわけではありません。……」(本書283〜284ページ)
というようなもので、その文面も本書で紹介されている。刑務所の保護室では、「大便を身体や壁に塗りたくり、尿を口に含んで刑務官に噴きかけるなどして暴れて」おり、取り押さえられるということが続いているという。このくだりは、太宰治の『人間失格』を読んで感じたときと同じような不気味さを感じさせる。この犯人も社会に適応できなかった憐れな存在と言えるのかも知れない。
このような事件を再発させない上で必要なことは、この犯人のように世間に居場所を持てない人間に何らかの安住の場所を用意することで、こういうことは本来であれば国民一人一人を守るために行政がやっておくべき仕事なのであるが、責任を個人に負わせようとする日本の行政はそういうことを一切しようとしない。そういう怠慢が、バタフライエフェクトとしてまわりまわって関係の無い被害者を生み出した結果がこの事件と言えるのではないか……というのが、本書を読んだ後の僕なりの総括である。