沢村忠に真空を飛ばせた男
昭和のプロモーター・野口修 評伝

細田昌志著
新潮社

読みどころ満載
令和出版界の真空飛び膝蹴り

 昭和のプロモーター、野口修の評伝。

 野口修は、知る人ぞ知る、「キックボクシング」の興業を日本で初めて始めた興行師で、「キックの鬼」、沢村忠を発掘した人である。アニメ『キックの鬼』にも再三登場するプロモーターで、沢村忠が所属していた目黒ジムの総帥である。「キックボクシング」を始める前は、ボクシングの興業に携わっていたが、これは父が元々ボクサーで、ボクシングジムを経営していたためである。

 「キックボクシング」を始めてからは、沢村忠というスターを生み出し、「キックボクシング」を優良コンテンツにした。しかもその後、芸能プロダクションも作り、五木ひろしという大スターを生み出す。芸能と格闘技の両方で頂点を極めたのだが、その後、馬主としても頂点を目指したあたりから運命が暗転していく。こういった野口修の生涯を、本人への聞き取り(相当長い時間に渡ってインタビューを敢行している)を中心にして、関係者へのインタビューで裏を取りながら、一本の評伝としたのが本作である。話を訊くことができなかった重要な関係者も多く、そういう部分については憶測になるが、憶測で書いた部分についてもそれなりの慎重さがあり、ある程度まで信頼を置いて読める書であると考えられる。

 トータルで500ページを越す大著で、しかも本書の取材を始めてから完成までに10年かかっているという大作である。周辺の人物は非常に多岐に渡り、ヤクザや右翼(野口家が関係していたため)から芸能関係者、元プロボクサーに至るまで、錚々たる顔ぶれが登場する。中には浜口雄幸首相を襲撃(結局浜口首相は死去)した人間、佐郷屋嘉昭の関係者まで出てくる。そもそも、野口修の父、野口進自体が、若槻礼次郎首相を暗殺しようと目論んで逮捕された人間であるため、当然右翼人脈は出てくる。そういった右翼連中が戦後、雇われて組合つぶしなどに携わっていた歴史や、興業と右翼、ヤクザとのつながりなども紹介されていて、時代背景が分かりやすい。

 このような時代を背景にして、プロモーターとして名前をあげてきた野口修が、作詞家で銀座のクラブのママである山口洋子と繋がり、やがて芸能プロを立ち上げたことから、70年代以降の芸能界の事情なども本書で細かく描き出される。野口修を通じて、戦後の興業界、芸能界の実像が描き出されるという構図になっている。

 内容は相当興味深いものであるが、関係者には故人が多く、しかも本書執筆段階で、インタビューしたが故人になったという人もいる。当の野口修自身も、2016年に死去しており、本書の完成には立ち会っていないわけである。そのために、はっきりと分からない部分も多く、読んでいて少しじれったい部分もある。そのあたりをそのまま残したのも、著者のノンフィクション作家としての良心と言える。

 本書では、『真空飛び膝蹴りの真実』と違い、沢村忠のキックボクシングの試合の多くがフェイク、つまり八百長だったとしている。対戦相手のタイ人選手については、野口が用意した宿舎に数カ月間から数年とどまって野口のジムで所属選手にムエタイの手ほどきをしながら興業にも参加したムエタイボクサーであり、こういった興業システムを野口自身が作りあげたらしく(こういったシステムは今の格闘技界でも引き継がれているらしい)、当然野口の意向が彼らに伝わるわけである。沢村が参加する興業も、当時相当な人気を博していたことから、全国で頻繁に行われており(中3日なんてものもある)、しかも沢村が登場することが不可欠であったために、言ってみればプロレスの興業に近いことがわかる。当時、沢村と何度も対戦したムエタイ選手(日本のリングネーム、ポンサワン・ソー・サントーン〈スウィット・ソワン・ポーン〉:その後、タイ〈ルンピニーとラジャダムナンの両方〉のチャンピオンになった選手)からも著者は話を訊いており、当時の事情がわかるようになっている。ただし彼の口からはフェイクについては明言されていない。また野口修自身は、「真剣勝負であった」ことを再三著者に語っている。

 いずれにしても、ボクシングを含む戦後の格闘技史、芸能史の一端が語られており、こういう分野に関心がある向きには、大変有用な書になっている。それは間違いない。

 僕自身については、五木ひろしのでデビュー曲で山口洋子作詞「よこはま・たそがれ」の詞がパクリだったと当時報道されていたという話が興味深かった。ちなみに元になった詩は、アディ・エンドレというハンガリーの詩人の『ひとり海辺で』という作品。

   海辺、たそがれ、ホテルの小部屋。
   あのひとは行ってしまった、もう会うことはない。
   あのひとは行ってしまった、もう会うことはない。
   ……

というもの。

 一方の「よこはま・たそがれ」の詞は、

   よこはま たそがれ ホテルの小部屋
   くちづけ 残り香 煙草のけむり
   ブルース 口笛 女の涙
   あのひとは 行って 行ってしまった
   あのひとは 行って 行ってしまった
   もう帰らない

で、これはもう完全にパクリと言える代物である(「残り香」という印象的なワードも元の詩に出ている)。弁解の余地はあるまい(双方で和解しているらしい)。

 ま、ともかく、いろいろと読みどころのある本であったのは間違いない。値段は張るが一冊手元に置いておきたいと思った。

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