犬は「びよ」と鳴いていた
日本語は擬音語・擬態語が面白い
山口仲美著
光文社新書
サンプリングだけでなく
日本の古典作品との関わりがあればよかった
日本の古典文学の研究者である山口仲美の著作。このお方、擬音語・擬態語についても研究しているようで、それをまとめ、いろいろとそれに付け加えて何とか一冊の本に仕上げた……というような類の本。
第一部「擬音語・擬態語の不思議」と第二部「動物の声の不思議」に別れていて、前半が書き下ろし、後半の大部分が『月刊言語』の連載の再掲ということらしい。半分を「動物の声」で章立てするというのも内容の薄さを物語っているようだが、実際に内容はかなり薄い。
第一部では、日本語にあるいろいろな擬音語・擬態語が時代と共に変化しているということを、さまざまな文献を調査し、拾ってくるというアプローチを取る。ほとんどはサンプリングだけで終始しているという印象で、そのためにどれもせいぜい雑学やエッセイ程度の内容で、面白味はあまりない。
第二部は、動物の鳴き声の擬音語を集めるという、その意図があまりよく伝わってこない企画である(「エピローグ」によると「もっと身近な動物の声を写す言葉の歴史を明らかにしたいという思い」によるらしい)。全8章構成になっており、(1)から(6)が犬、猫、鼠、牛、馬、狐の鳴き声、(7)と(8)がももんがとツクツクボウシと来る。(1)から(6)では、過去の文献で、こういった動物の鳴き声にどういう擬音語が使われているかをひたすら紹介するというもので、こちらもまったく面白さを感じない。せいぜい動物の鳴き声の雑学といった程度のとりとめのない話である。昔使われていたであろう擬音語を紹介し、その出典を紹介する程度、つまりサンプリングのレベルでとどまっているのが、つまらなさの原因だろう。古典の研究者なんだから、古文との関連で話をしてくれるともうすこし面白くもなるんだろうと思いつつ、このあたりは我慢しながら読んでいたのだった。ただ(1)で紹介されていた犬の鳴き声に関する漢詩(椀椀椀椀亦椀椀 亦亦椀椀又椀椀 夜暗何疋頓不分 始終只聞椀椀椀)はユニークで、ほとんど唯一の面白い素材だった。我慢して読んでいれば一つぐらいは見所が見つかるものである(ちなみにこの(1)から(6)が『月刊言語』に連載されたものらしい)。
(7)と(8)のももんがとツクツクボウシの章はもう少しましで、面白い題材がいくらかあった。「ももんが」という名称が化け物を指す言葉だったとか、和歌でツクツクボウシが「うつくし」(蝉の羽の 薄き心と 言ふなれど うつくしやとぞ まづはなかるる〈元良親王〉)や「筑紫良し」(空蝉の つくしよしとは 思はねど 身はもぬけつつ 鳴く鳴くぞゆく〈相良武任が筑紫に逃げ下る途中で詠んだ歌〉)の掛詞で使われている例が紹介されているが、こういった題材はそれなりに味がある。こういう話を全編通していればもう少し良い本になったんではないかと思うが、古典の面白さに通じるような話は他にはほとんどなかった。結果的に、やっつけ仕事みたいな本になってしまっているのが、あまり感心しない。