新・ローマ帝国衰亡史
南川高志著
岩波新書
「ゲルマン民族大移動」の実像
『ローマ帝国衰亡史』と言えば18世紀のエドワード・ギボンの著作であるが、21世紀現在の視点で独自の解釈を施した『ローマ帝国衰亡史』も必要なのではないか、ということで書かれたのがこの本である。
ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂し、476年に西ローマ帝国がゲルマン民族大移動によって崩壊する……というのが、一般的な世界史での考え方である。ただ「ゲルマン民族大移動」というのがなんだかわかったようでわからない。一般的には東方からやってきた、アッティラ率いるフン族から逃れるために、ヨーロッパ中で民族大移動が起こったということになっているが、その1000年後にモンゴルが攻めてきても、あるいは1700年後にナチスが残虐非道な所業を繰り返しても大陸全体で民族が移動するなんてことはなかった。それを考えると何となく納得がいかない。こういう部分を把握するためには、当時のローマ帝国と辺境(つまり異民族)、あるいは当時の社会システムについて理解する必要がある。
この本では、そのあたりがかなり明解に解説されていて、ローマ帝国と辺境の「蛮族」(異民族)との関係もしっかり定義されているのでわかりやすい。つまりはローマと辺境の間に(現代風の)明確な国境があるわけではなく、緩く広い辺境帯みたいなものがあって、その領域が帝国内とも交流があったということらしいのだ。辺境とローマ帝国内との行き来も割合緩やかだったという。ではローマ帝国が辺境を帝国領として取り込む、つまり異民族の辺境地帯がローマ帝国に所属するようになるに当たって何が大きな鍵になったかというと、ローマ人であるというアイデンティティだったというのだからちょっと驚きである。つまり、帝国に取り込まれた「蛮族」の人々が、ローマの習慣を受け入れて、ローマ風の生活を送れば、そのままローマ人になるというわけだ。あくまでローマ風の生活を拒むということがローマと対立することになるらしい。
周辺の民族の側も、「ゲルマン民族」という形で一枚岩で固まっていたわけではなく、比較的小さい自治体があちらこちらにあり、それぞれの利害に応じて離合集散を繰り返していたという。ローマに取り込まれればローマ市民となるわけで、中にはローマの行政の中枢に入る「蛮族」もいる……どころか辺境出身で皇帝になったものまでいる。要するにローマ帝国というのはそういう緩やかな共同体だったということで、現代風の国、国境という概念が当てはまらないということなのである。現代風の概念が当てはまらないのは「民族」についても同じで、先ほども書いたように同じ種の人々が民族のアイデンティティで固まっているわけではない。同じ民族でも、ローマ帝国に取り込まれて市民になる人々の集団とローマに取り込まれない人々の集団が共存したというのが著者の考え方である。
本書では、アウグストゥスの時代から始まるローマ帝国の領土拡張の歴史が語られていく。中心になるのはコンスタンティヌス大帝あたりから西ローマの崩壊あたりまでで、まさに「ローマ帝国衰亡史」である。ローマ帝国がどのように分断されていくか(その種はコンスタンティヌス以前にあったわけだが)、「蛮族」を制圧できなくなっていったかなどが語られ、ローマ帝国の歴史を俯瞰できるようになっている。ただし登場する人物が非常に多く、しかも名前も馴染みがないものが多いため、かなり混乱するのは確か。とは言え、高校の世界史に出てくるような浅薄な歴史観は覆される。歴史に蠢く人間の姿というものが少しではあるが見えてくる。「ゲルマン民族大移動」についても全体像は見えてくる。ローマ帝国に触れるための入門書としては格好の本ではないかと思う。