字体のはなし
超「漢字論」
財前謙著
明治書院
漢字周辺の矛盾点を
歴史の文脈から解き直す
書家にして美術評論家である財前謙の3つの著作(「字体のはなし」、「筆者と印刷」、「題簽の中の会津八一」)を一冊にまとめた本。ただし大部分は「字体のはなし」で、後の二つは付録みたいなものである。また面白さも「字体のはなし」が群を抜いている。
「字体のはなし」では、字体について考察を行う。字体というのは、著者によると「漢字をその形ではなく、意味と読みの観点からとらえたとき、概念としての漢字それぞれを字種といい、これを形で捕らえたものを字体とよんで区別」するということで、字の形と考えたら良さそうである。要は同じ字種でも、字体が違うということがあり、たとえば「斉」と「斎」は字種が異なるが、「斉」と「齋」は同じ字種で異なる字体ということになる(「齋」はいわゆる旧字体)。字体の中には、現在正しいとされるもの(正字)と異端とされるもの(異体字)があるが(「即」と「卽」など)、実際のところ何が正しいかは便宜的に決められているだけ(現代日本では「常用漢字表」などが基準になる)で、どれが正しい、正しくないというのは、本来ないというのが著者の主張。また、筆順やトメハネなども、絶対的なものは本来なく、こちらも便宜的に決められているに過ぎないという立場から、小学校のあまりに厳格な漢字教育に異議を唱えている。
さらに現在学校現場で正当とされている漢字は多くが活字(明朝体)に基づいているもので、手書きの観点からは違和感のあるものもままあるため、教育の現場では、必要以上に厳格にならずに、手書きの観点を取り入れる必要があるのではないかという主張もなかなか説得力がある。同時に『康熙字典』を必要以上に重んずる、明治以来の文部省、国語科関係者の方針についても異議を呈している。
本書は、文字について非常に多角的な視点でアプローチしており、さすがに書家!と思わせるような論で、価値の高い著書と言える。元々は、先頃NHKラジオで放送された『私の日本語辞典「漢字の字体を考える」』を聞いて、著者に感心を持ち、本書を読んだのだが、本書はあの番組の内容ともシンクロしており、読むこちら側の期待どおりの内容だった。満足度は高い。