応仁の乱
戦国時代を生んだ大乱
呉座勇一著
中公新書
ベストセラーに良書はない
やけによく売れている本らしい。西暦1467年(応仁元年)に京都で起こった応仁の乱前後の歴史をまとめた本で、内容自体にあまり目新しさは感じない。なぜ売れているのか見当が付かないが「勝ちに不思議の勝ちあり」ということなんだろうか。
さて内容だが、興福寺の別当だった経覚(きょうがく)と尋尊(じんそん)が残した日記を素材にして、同時代を辿っていくというもので、アプローチもありきたりで特に目新しさはない。で、足利義教が征夷大将軍に就任した時代(1428年 -- 応永35年)あたりから話が始まる。奇しくもこの年は正長の土一揆が起こった年で画期としては申し分ない。
続いて、この頃の大和盆地周辺が、利権争いのために戦乱がいつ起こってもおかしくない状態だったと語り始める。著者はこれを「畿内の火薬庫」と表現している。この紛争に関わってくるのが河内の有力守護大名、畠山持国だが、その後、この畠山家に後継争いが起こり、畠山義就と畠山政長が戦闘状態になる。それぞれの勢力に利害関係を持っている守護大名が、それぞれを支援することになり、また、八代将軍足利義政の後継争いも絡んできて、それが拡大し、京都での戦乱になったというのが、世に言う応仁の乱。このあたりのいきさつがかなり細かく時系列で紹介される。
ただし登場人物が非常に多く、とてもじゃないがわかりやすい記述とは言いがたい。しかもそこに、著者と異なる考え方を持っている学者たちの名前まで引用してきたりしてややこしさもひとしおである。学者の名前をうっかり武将の名前と誤解してしまったりさえする。ただでさえ人物が多すぎるのになんでわざわざ増やすかなと思う。そもそも一般大衆に向けて書くべきこの手の新書で、他人の学説を引用したり反対したりする必然性があるのか。必要性があっても注をつけて巻末で紹介しておけば十分である。そういう点を鑑みると、この本は学術論文の延長として書かれていることがわかる。内容から考えると修士論文程度のものと考えられるが、そもそもが顔を向ける相手が間違っている。あくまでも新書であり学術論文ではないのだから、研究者群ではなく一般読者に語りかけるように書くのが、この手の本の筋ってものだと思うが如何。そのあたりは本来であれば編集者が指摘すべきではないかと思う。
ともかく、これを一般人でも面白く読めるものにするためには、もっともっと話を切り詰めないといけない。とにかく不要な記述があまりに多く、また不要な登場人物も多い。特に興福寺関連の記述は、経覚と尋尊の関連で入れたんだろうが、ほとんどは応仁の乱の性格付けの上では不要である。第4章「応仁の乱と興福寺」、第5章「衆徒・国民の苦闘」はほとんどカットできる。内容から考えると、半分ぐらいに切り詰めるべきではないかと思う。また登場人物同士の関係性もわかりにくい。随時、図でまとめるなどの工夫が欲しい。
内容については比較的目新しい内容も紹介されている(たとえば明応の政変など)が、なにぶん整理されていないため、非常に読みづらいことには変わりない。わかったことを書き連ねてそれに少々論考を加えていますという内容では、一般人の目にさらすには少々恥ずかしい代物であると老婆心ながら書いておこう。