東大VS京大 入試文芸頂上決戦
永江朗著
原書房
後半は長々と与太話を聞かされた
仕事がら大学入試の国語の問題を解いてみたりするんだが、当然ながら良い問題もあればひどい問題もある。どちらかというとひどい問題の方が多いかもしれない。まず問題文の悪さが目に付く。基本的に現代文の大学入試で取り上げられる文章は(問題を作りやすいという理由で)読みづらい悪文が多いなどという話を聞いたことがあるが、それにしてもあまりにひどいものがある。内容がプアなのも多いが、そもそも人に読ませる日本語が書けていないものがあまりに多い。こんなひどい文章を高校生に読ませたいのかと出題者に訊ねてみたい気持ちに駆られる。
最悪なのは大学入試センターが作っているいわゆるセンター試験(現在は「共通テスト」と名を変えているが実質はほぼ同じ)の文章で、年々悪くなっているように思える。そんな中、国立大学の問題は割合良い問題が多いと感じる。採点にしっかり時間をかけられているせいか(国語については詳しいことは知らないが)、中には読みふけってしまうような面白い問題文まである。この著者も、いわゆる「赤本」に掲載されている国語の問題をアンソロジーとして読んだりするのが好きらしい。そういう著者であるからこそ、国立大学(この本では東大と京大)の国語の問題に食いついたというわけ。この本は、過去の東大と京大の国語の問題(多くは現代文)を紹介して、そこに時代背景を読み取ったり、あるいは書かれている内容に興味があればそれについてもコメントしたりというコンセプトの本で、企画としては面白いかも知れないが、作り手の作為を感じる企画でもある。それに「入試文芸頂上決戦」という、煽るようなタイトルもいただけない。
紹介される入試問題は、明治期、大正期から、戦後、高度成長期、バブル期を経て2016年までで、都合100年以上に渡っている。戦前の問題は、第一高等学校(東大の一部の前身)と第三高等学校(京大の一部の前身)の問題で、学制改革後は東大と京大の入試問題になる。特に(明治期を含む)戦前、戦後すぐの問題はなかなか興味深いもので、学術的に(あるいは博物学的にでも良いが)アプローチしていれば非常に面白い本になっていたと思われるが、本書ではこちらはどうもおまけのような位置付けである。この著者の関心は、ここ20年くらいの問題で、そちらの方に偏っているという印象がある。特に比較的新しい問題については、著者の好みが合うのか、やたらいろいろ取り上げてコメントしている。ただし内容は野次馬的あるいは知識のひけらかしみたいなふうにも感じられ、読者の側からするとまったく読む価値を感じない。僕自身もいろいろとツッコミながら読んでいたぐらいで、後半は「星一つ」程度の評価である。本書を半分以上読んだんで無理して最後まで読みましたというのが本音のところである。そもそもこの著者が好んで取り上げる文章がどれも面白くない。中身が伴っていないスカした文章ばかりで、こういう嗜好の人が入試問題を作っているのだなというのがよくわかったのは収穫である。
また、この著者の文章がところどころ気持ち悪くて鼻に付く。たとえば「オレが受験生なら、この出題文を読んで泣くね。(253ページ)」などとという文章。しかもご丁寧に5ページ後にも、「オレが受験生だったら、出題文を読んで泣くね。(258ページ)」という具合に同じような表現が繰り返される。オレが著者だったら、ちゃんと校正するね。
他にも低レベルな表現が多数あるので以下に一部をご紹介。引用文の後のカッコ内は僕のツッコミである。
● (メルロ=ポンティとギブソンの名前が問題文に入っていたことから)「いまの東大受験生はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』やギブソンの『生態学的視覚論』を読んでいたりするのだろうか。(240ページ)」(読んでるわけないやろ)。この著者が単にこういうのを読んだことを自慢したいのかとも思える。その後、242ページにも「メルロ=ポンティなどに親しんだ受験生ならそう難しい問題ではないが、初見ではちょっと戸惑うかも知れない。」などとしつこくメルロ=ポンティを推してくる。
● (幸田文の文章にちょっと外すテクニックがあるなどと指摘した後)「ほとんどの人が見逃していて、それでちょっとかわいげのあるようなコメントをひとこと言うのが、アイドルとして愛される秘訣だというのである。ジャニー喜多川は幸田文を読んだだろうか。(247ページ)」(アホくさ)
● 「自己の同一性をめぐる素朴な問いである。受験生にとっては、前日の夜、自宅の勉強部屋の机に向かっていた自分と、いま試験会場の机の前にいる自分を対比するだろうか。(250ページ)」、「「意地悪だなあ、こんな文章を試験に出すなんて」と思うだろうか。(252ページ)」(想像力にも創造力にも乏しい安っぽい文章)
● 「ロマンス小説や漫画で、複雑だけども陳腐な人間関係や事件、感情のもつれなどについて知っておくことは、東大受験をする上でもけっしてむだではないのだなあ、と思う。東大入試は下世話な人が意外と有利?(255ページ)」(もはや何も言えない)
こういう文章が特に後半多くなってきて、かなり不快な気持ちになったことを付記しておく。また誤植が多いのも鼻に付く。ともかくかなりいい加減な本である。