大江戸えころじー事情
石川英輔著
講談社文庫
完全リサイクル社会が
この日本列島に存在していたという驚き
大江戸ブームの火付け役である石川英輔の著書。タイトルから、初期3冊に続く本だと勘違いしていたが、実は『大江戸事情』シリーズの8冊目だった。元々日刊紙『電気新聞』に連載していたエッセイを、その後かなり手を加えて再構成してまとめた本だという。今回も再読である。
本書のテーマは、江戸社会が完全自給社会であったということで、前年もしくは前々年の太陽エネルギーを主に利用して生活を成り立たせていた、ということがしきりに訴えられる。当然化石燃料はほとんど使われなかったし、原材料の輸入はまったく行われていなかった。江戸時代の人々は、太陽エネルギーによって生み出された草木や農産物のみを利用して生活を営んでいたのである。しかも(都市としての)江戸については、100万人もの人口を抱えていてそれを維持していたのであるから、同じく人口集中の環境にいながら環境破壊という問題を抱えている現代人から振り返ってみれば、参考になることも多かろうというのが本書の主旨である。
本書によると、現代のような便利さはないが、人としての丈に合った生活が営まれていたのが江戸時代。したがって、それなりに労働力を投入しなければ生活を営むことができないが、しかし今我々の日常を苦しめているような環境問題は皆無である。当時のヨーロッパ社会で生活の足を引っぱっていた屎尿(ロンドンやパリでは屎尿処理が行われず垂れ流しで、そのために街中に異臭があり伝染病も蔓延しがちだった)の処理にしても、ほぼ完全に畑や田に戻していたため、江戸社会にはまったく問題がなかったし、江戸市中では上水道もかなり普及していたという点で、当時の社会では世界的に見ても最先端、しかも完全リサイクル社会が成立していたという稀有な時代である。今から見ると不便でしようがない生活かも知れないが、当時の感覚からは、店は向こうからやって来るし(物売りが始終街中を通行していた)、それなりの住まいはあるし(長屋が街中に広がっていた)、しかも治安は良い上、物見遊山まで完備されていて、江戸の生活は結構なぜいたくに映ったようである(「近ごろぜいたくになりすぎている」などという当時の記述も残されている)。
日用品については、使い潰すまで修理して使い、いよいよ使い潰してしまえば燃料として利用するということが徹底されている。工芸品については、大量生産大量消費という発想がないため(そもそも不可能だが)、徹底的に手を加えて上質なものを作り出す。現代の日本人にとっても、そちらの方が居心地が良いという人も多そうだが、そういう生活が徹底していた。というより徹底せざるを得なかったわけであるが、それでもその範囲内で高度なレベルの生活環境を作り上げていた江戸社会については、今一度見直すべきではないかというのが、著者が本書でたびたび繰り返している主張である。
このシリーズは、それまで暗黒時代とされていた江戸時代を再評価する上で、日本の歴史学上、大きな役割を果たしたと僕は考えているわけだが、本書で紹介される江戸社会は非常に魅力的に映る。現代社会と欧米崇拝に対する批判が、イヤになるほど繰り返し出てきて少しうんざりする部分もあるが、それでもどの章も大変魅力的で内容が充実している。同時に、取り返しがつかないところまで進んできた現代社会の環境問題についても、考えさせられる。エコロジーという観点を真ん中に据えて見た江戸社会(そして現代社会)の有り様が、これでもかというぐらいよくわかる一冊である。