寂しい生活
稲垣えみ子著
東洋経済新報社
「昭和中期」生活体験事情
『魂の退社』の著者による『魂の退社』アフター。
著者は、東日本大震災の原発事故を契機に、電気の使用について考えるようになった。それまで反原発運動に対して「反原発はエキセントリックな一部の人の非現実的な主張」と思っていたらしい(新聞記者がこういう考え方をしていたことに驚く)が、あの事故をきっかけに原発自体の存在、ひいては現代社会の電気使用についても疑問を感じ始め、節電を試みるようになる。
いざやってみたものの、実際には電気使用量はほとんど減ることがなかったため、あえて電気をまったく使わない生活を想定して、必要のない電化製品はコンセントから抜くことにした。こうしてみるとわざわざコンセントを繋いでまで使いたいかどうかが電化製品使用の基準になるため、本当に必要なもの以外は使わなくなる。終いには掃除機、電子レンジ、冷蔵庫、エアコン、暖房器具まで手放し、電気代月150円という驚異的な生活を実現する。そしてそこで見えてきた世界は、家事がこれまで以上に負担でなくなり、むしろ楽しくなったという結論だった。これがきっかけとなって、無ければ無いなりに生活できるにもかかわらず、当たり前のように「便利な」製品を家の中に置いておく(そして必要もないのにスイッチを入れておく)という生活に疑問を感じ始めたのだった。
最終的には、過剰な電気製品やモノに頼らない生活の中に自由を感じるようになる。風呂は銭湯を利用することで以前より快適に入浴できるようになったし、冷蔵庫がないことから不要な食品も買わなくなった。それでも野菜が余ってしまったら、腐らないようにするため天日干ししたりして再利用する。著者によると、こうする方が格段に味が良くなるという。こういう新たな気付きを経て、モノと社会について考察を重ね、自らのこれまでの価値観(「役に立つもの」と「役に立たないもの」の無意識的な区別)にまで思いを馳せるのだった。
このように内容は、『大江戸生活体験事情』を思わせるような体験的文明批判になっていて、なかなか読ませるものになっている。体験に基づいているというのが何より説得力がある。ただところどころ「そういうことはもっと若いうちから問題意識を持っておくべきでは」と思う箇所があったのも事実で、それは著者が元新聞記者だからなのだが、新聞記者がものを考えていないということが逆照射される結果になっている。そういう意味では、著者が新聞社という大企業から離れた結果として、ある意味まっとうな思考を得られることになったわけであり、「魂の退社」は真の意味でジャーナリストを生み出すことになったと言えなくもない。