京都ぎらい
井上章一著
朝日新書
意外な京都史が次々に繰り出される
京都の嵯峨で生まれ育った著者が、京都中心部の人々の間に見られる、よそ者(嵯峨を含む)を蔑む「中華思想」について指摘し、怨嗟を込めてそれについて語る本。本書については、当初からそういう内容だという評判を聞いていたため、ひがみ混じりの京都批判本だという前提でこの本に当たったわけだが、実際には、京都から見た歴史的視点も随所で開示され、単なる愚痴本にとどまらない深みがあった。僕が知らない歴史的事実も紹介されており、かなり興味深い箇所が多かった。
著者はちなみに建築史を研究している人らしく、京都の歴史にも造詣が深い。その著者が、嵯峨生まれということで京都中心部の人間から田舎者呼ばわりされることがこれまで何度かあったらしく、それが苛立ちにつながってきたらしい。しかし嵯峨地域には、鎌倉後期、皇室の中心だった大覚寺統の御所があって広大な敷地が大覚寺の所有となっており、言わば都の副都心みたいな役割を担っていたことがあり、決して田舎として蔑むことはできない(らしい)。その後、室町幕府が政権を取った後、足利尊氏が(大覚寺統の)後醍醐天皇の冥福を祈るために天竜寺を建てたわけだが、そのときに天竜寺の敷地にしたのがかつて大覚寺が所有していた領地で、つまり都での大覚寺統の勢力を削ぐためにその広大な領地を合法的に奪ったというのが歴史的な事実だと言うのである。
さらには明治期になると、今度は天竜寺の領地が明治政府から大幅に奪われ、現在の嵐山の地域まで明治政府が管轄することになるという、いわば栄枯盛衰の側面もそこにはある。明治政府から寺領が奪われた例としては、他にも南禅寺や建仁寺もあり、南禅寺の場合は明治政府要人の別荘地になり、建仁寺の場合は祇園の花街になって政府要人の遊興の場になったわけで、時の支配者によって良いように利用された側面が京都の地に残っているらしい。このあたりは詳しく知らなかった情報で大変興味深かった。
また祇園の花街については、そこに金を落としていく最大のスポンサーは寺(の住職)ということで、寺が金を落とさなくなったら祇園が存続できないという声も聞かれるという。実際、著者によると、祇園周辺の夜の街で法衣姿で遊んでいる僧侶をよく見かけるという話である。寺関連では、さらに(免税を受けている)拝観料についても、京都の歴史からの視点で触れられており、京都の中に渦巻くいろいろな闇が次々に紹介されていくのが小気味良い。(特によそ者にとって)意外性のある話が次々に繰り出されるため興味が持続する上、文章も平易で小気味よく、大変読みやすい本である。「あとがき」に書かれている「七」の発音の話も初耳で興味深い(京都人は「しち」ではなく「ひち」と発音するため、「七条」や「上七軒」という地名は、かなで書く場合「ひちじょう」「かみひちけん」と記述するのが正しいという話)。