正しさをゴリ押しする人

榎本博明著
角川新書

攻撃的な社会現象を推し量るためのものさし

 ネットの言論を目にすると気分が悪くなることが多い。やたら正義を振りかざして、他人のちょっとした過ちを責め立てる(中には過ちですらないものへの言いがかりもある)。テレビのワイドショーもしかり。一体あんたらは何様だと思う。インターネットが普及して、それまで発言機会がなかった一般大衆が自分の意見を表明できる機会が増えたことがその原因の一つであることは容易に予想がつくが、本来公の場所に出てくるべきでないような陳腐な意見がまかり通って、しかも数の力で正論を押し黙らせるような議論を目にすると、暗澹あんたんたる気持ちになってくる。僕の見たところ、ネットの言論などというものは、井戸端会議や居酒屋のくだまきと同等のものであり、本来であれば無視すればそれで済むわけだが、中には、議論の相手の個人情報を利用して犯罪行為に及んだりする低レベルな人間もいるため始末が悪い。インターネットが普及してから30年近く経つんだから、いい加減こういう困った人間に対する法制度が整えられても良さそうなものだが、いまだにやったもの勝ち、言ったもの勝ちみたいな状況が続いている。まことに苦々しい気分である。

 さて、こういったいわゆるバッシング行為が、どういったところから湧き出しているか分析するのがこの本である。といっても、今述べたような社会的な分析ではなく、なぜこういった「風起委員」的な「自分の正義」を主張する訳知りの言動が起こってくるのか、人の心理面に注目して分析したものである。

 分析はきわめて明解かつ適確で、読んでいて非常に感心した。要するに、(人間には多様な意見があるという前提に立って)異なる立場に立つ能力を欠いた人々が、社会的なストレスによる欲求不満のせいで、インターネットの匿名性を利用して、自身の承認欲求を満たしている……ということになる。また嫉妬による一方的なやっかみから、特定の成功者に対する攻撃を行うケースも多いという。一々ごもっともで、非常に鋭い分析であると思う。同時に、自分にもこういう特徴がまったくないわけでなく、実は多少思い当たるフシもあり、奇天烈な攻撃性を他者に向けないよう気をつけようと反省するのだった。

 この本で紹介されている、ものの見方が、現在あちこちで見受けられる攻撃的な社会現象を推し量るためのものさしになるのは間違いない。こういった事実を知った上で、周囲の問題に対処したいものである。もちろん、先ほども言ったが、個人的に反省する材料にもなる。

 この手の本は一般的に独りよがりの議論が多く読むに値しない、または読むに堪えないものも多いが、この本はまるきり違う。大変読みやすく、非常に良い本であると断言できる。

-社会-
本の紹介『「空気」を読んでも従わない』
-教育-
本の紹介『ルポ教育虐待』