葬式仏教の誕生 中世の仏教革命

松尾剛次著
平凡社新書

少し曖昧な箇所もあるが
非常に濃密な仏教史の本

 「葬式仏教」などと揶揄やゆされる現代の仏教界だが、そもそも仏教は葬式を執り行うシステムではなかった。その仏教がいかにして葬儀を担当するようになったかについて、平安時代から鎌倉時代を中心にして述べていこうというのがこの本。

 前に、同じく葬儀のあれこれについて書かれた本『葬式は、要らない』を読んだことがあるが、あれとは少し趣が違い、中世の仏教史的な側面から葬儀の歴史が説かれる。まったく知らなかったことばかりで本の密度は濃いが、専門的過ぎるきらいがあり読みやすいとは言いがたい。何度も前に戻りながら読むことになった。とは言え、それだけエネルギーを注ぐだけの価値はあると思う。

 たとえば平安時代、一部の高貴な人以外、葬儀が行われず、死体が河原に放り出されていた(風葬ふうそう)など、まったく初めて聞く話で、これなんかは目からウロコであった。なんでも「けがれ」と言う発想があり、人や動物の死体に触れると穢れがつくため、神聖な場所に入ることができなくなるというのである。そういうわけで官僧(鎮護国家ちんごこっかの祈祷などを行う僧)は、穢れがつくと30日間参内できなくなり神事が執り行えなくなるため、僧であっても人の死を忌避していたらしい。それが変わったのは平安時代末期から鎌倉時代にかけてで、官僧以外のフリーの僧(遁世とんせい僧)が人道的な見地から死んだ人を葬ることが出てきた。やがてこういった遁世僧によって、阿弥陀あみだ浄土信仰の新しい解釈が行われるようになり(法然や親鸞などのいわゆる鎌倉新仏教)、穢れに対して独自の解釈が進んでくる。「清浄の戒に汚染なし」(修行を積んで戒律を守っている僧には穢れがつかない)とか「往生人に穢れなし」(極楽往生する死人には穢れがない)などの考え方がそれで、こうして仏教と死穢しえとの垣根がなくなったというわけだ。その後、江戸期に入ると、制度として民衆に仏教が割り当てられることになり(寺請制度)、仏教が葬儀に深くかかわるようになる。

 ただ、この鎌倉末期の状況から江戸までの状況については詳しく触れられていない。仏教が、人道的な面ではなく慣習的に葬儀に関わり始めたのはいつでどういったいきさつなのか何となく曖昧である。叡尊えいそん教団の「光明真言こうみょうしんごん会」(光明真言一発で人を極楽往生させるという組織)や「斎戒さいかい衆」(葬儀をもっぱら執り行う組織)の記述はあるが、それが社会全体にどのように定着していったのかが今ひとつわかりにくい。あるいは著者の専門が(おそらく)中世仏教のせいかはわからないが、そのあたりが残念な点である。

 阿弥陀如来あみだにょらいを中心とする「浄土信仰」と弥勒菩薩みろくぼさつを中心とする「兜率天とそつてん信仰」の2つが古代、中世の二大信仰であったことなどもまったく初耳で非常に勉強になった。厚さは薄いが内容は濃密な仏教史の本であった。

-マンガ-
本の紹介『コミックストーリー 日本霊異記』
-マンガ-
本の紹介『漫画・日本霊異記』
-日本史-
本の紹介『法隆寺の中の九州王朝』