明治天皇〈四〉

ドナルド・キーン著、角地幸男訳
新潮文庫

クラシカルな編年体形式ではあるが
近代日本文化史の画期と言える本

 明治天皇の生涯に迫るノンフィクションで、文庫版全4巻構成の最終巻が本書。日露戦争が中心のテーマで、それに伴う韓国との関係、伊藤博文の暗殺、大逆事件などが扱われる。本書の最後は明治45年(1912年)の明治天皇の死、乃木希典の殉死で締めくくられる。

 『坂の上の雲』とほぼ同じ時代で、日露戦争についてはあまり意外性のある記述はなかったが、韓国併合の過程はかなり詳細に描かれており、今まで何となくでしか知らなかったいきさつが把握できるようになる。つまりは、韓国が西洋列強に侵略されないよう日本がその外交権を掌握して韓国を庇護するという理屈が展開され、条約(日韓協約)を強制的に押し付けるというのが、その方法論である。ただし本書によると、天皇自体がこのことに直接的に関与していた可能性は低く(詳細については末期まで知らなかったのではないかというのが著者の推測)、そのために最後の最後まで韓国の皇室に対して配慮を見せている。政府は、韓国の皇太子を日本に留学させたりしている(要は人質)が、その皇太子に対しても明治天皇は愛情を注いでいる。

 清国の崩壊と立憲国家、中華民国の成立についても日本との関係で描かれ、日本政府がすでに清国の重鎮だった袁世凱と交渉し、新政府の中心になるよう要請していたなどという事実は興味深い。伊藤博文暗殺の安重根や大逆事件の幸徳秋水についても、彼らの背景が非常に詳細に描かれるため、新しい視点がもたらされる。しかもこういった個々の出来事が、時代の流れの中に落とし込まれていて、それが時代的な感覚を読者に与えることに繋がっている。本書については、明治天皇の治世を編年体で時代順に描いているという見方ができるが、編年形式の利点がこういうところに反映されるのである。しかもその中心に1人の人間(明治天皇)を据えることで、個人と時代背景、事件などが密接に繋がり、結果的に明治時代という一時代の移り変わりを表現することに成功している。そのあたりが本書の優れた点である。

 明治天皇の評価については、天皇自身がどれだけ関わっていたかは不明だが、その事績は天皇が最終的な裁可を与えているという点で、少なくとも天皇抜きで考えることはできないというあたりに落とし込んでいる。また、天皇の性格については、記録がほとんど残されていないことから詳細は不明ではあるが、いろいろな資料から推測すれば、自分自身に対して厳しい倹約家で、部下を信頼して存分に仕事をできるようにするタイプの存在だったという結論を出している。また、民衆から親しみや敬意を持たれていたことも確かで、そのあたりは天皇制に異を唱えていた無政府主義者の幸徳秋水でさえも明治天皇については親しみを感じており、アンビバレントな感情を示しているあたりにも反映している。著者の描く明治天皇は、今風にいえば「上司にしたい有名人」ランキングのベスト3に入るような存在である。もちろん著者が明治天皇を闇雲に持ち上げるような記述はないが、天皇の個人的な資質が日本の近代化に良い影響を及ぼしていることは間違いないと考えているようではある。近代日本がこういった資質を持つ権力者を持っていたことは幸運だったのかも知れない。

 とにかく、現代日本に皇室についてのタブーがあるせいかわからないが、明治天皇についての著者ははなはだ少ないらしい。映画でも、少し前までは明治天皇や昭和天皇が顔を出すことは少なかった(顔だけが映されなかったりすることもあった)。本書はそういう点でも画期的で、同時に人間としての明治天皇にスポットを当てた点でも、日本の文化史上大きな役割を果たしたと言える。皇室タブーが染みついていないアメリカ生まれの著者だからできたことなのかも知れない。

-日本史-
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