刀狩り
武器を封印した民衆
藤木久志著
岩波新書
「刀狩り」の「常識」に疑問を投げかける
日本中世史が専門の著者が、豊臣秀吉の刀狩りについて論じた本。豊臣秀吉の刀狩りについての書、論文は、著者の前著(『豊臣平和令と戦国社会』85年)以外ないというほど、日本では刀狩りの研究は行われていなかったらしい。それにもかかわらず、当然のごとく、豊臣秀吉によって農民が完全に武装解除されたという思いこみが、あらゆる階層の人々に行き渡っている。本書では、それに疑義を呈し、本当に秀吉の強権によって刀狩りで民衆の武装解除が行われたのかをさまざまなデータを提示することで検討していく。
結論を言えば、秀吉の刀狩りは、公然と帯刀することを禁止するものであって、所持についてはほぼ認められていた。刀狩令の試行についても、実際は村などのコミュニティ任せであり、鉄砲は集めず刀だけを一定本数集めたらしい。しかも、場合によっては持ち主に返却したこともあったようだ。つまり、象徴としての武装解除であり、人を殺傷するために武器を使用することを禁止したもので、(秀吉の天下統一によって)平和な世の中になったことを広く流布させる意味合いの方が強かったのではないかと言うのだ。また、施行にあたっては、民衆側も自主的に応じた側面があり、紛争解決のための武器の使用を凍結することに自ら同意し、その結果、平和な時代が徳川の治世まで引き継がれたのではないかという趣旨である。本当の意味で市民が強制的に武器を没収されたのは、太平洋戦争後の米国の占領政策によってであると言う。
話は刀狩りから日本国憲法にまで至る。つまり、民衆側から自発的に武装解除することで平和な世の中を作ってきた日本人が、日本国憲法第9条を大切にするのは至極当然であるとして、現在の風潮に一石を投じている。
非常に意欲的な本で、歴史に新解釈をもたらしながら、それを現代につなげる。歴史学の意味を確認させる名著である。ただし、第1章から第6章までデータが連綿と書きつづられ、少し退屈する(学者だけに「論文としての体裁」を意識したのだろう)。プロローグとエピローグが面白いので、後は拾い読みでも良いかも知れない。