勘定奉行 荻原重秀の生涯
新井白石が嫉妬した天才経済官僚

村井淳志著
集英社新書

荻原重秀の名誉回復の本

 元禄時代に貨幣改鋳を行い経済的な混乱をもたらしたとされる勘定吟味役、荻原おぎわら重秀しげひでの再評価を試みる本。

 一般的な高校の日本史教科書では、五代将軍徳川綱吉に仕え経済を担当したが、貨幣の質を落とす(金の含有量を減らす)という愚策を敢行し、大幅なインフレを引き起こして経済を悪化させた張本人という扱いになっているのが荻原重秀。しかしよくよく考えて見ると、元禄時代は経済的に大きく花開き大幅な経済成長を遂げたとされる時代。それに貨幣の金の含有量を減らして何が問題なのかが、わかったようでわからない。金本位制だからと言われるとそうかなとは思うが、貨幣として使うんだったら、質が落ちたところであまり問題にならないんじゃないかと思ったりする(そもそも現在使われている紙幣は素材が紙なんだから)。

 著者も、悪評ばかりがつきまとう荻原重秀に興味を抱き、さまざまな文献を調べ上げ、荻原に迫るという試みをした。実際のところ、荻原の記録は比較的少なく、二次史料みたいなものが中心になるが、その結果、荻原重秀の評判は過剰に貶められているという結論に至る。

 実際、荻原は若い時分から能力を買われて幕府内で頭角を現しており、しかも数々の財政上の難題を次々に解決しては、出世を重ねていき、最終的に勘定奉行(財務大臣みたいなもの)にまで上り詰める。貨幣改鋳にしても当時、金の採掘量が著しく減ったために行った策で、結果的にこの方策はある程度うまく行っていた。インフレ率について言えば、大局的に見ると、貨幣改鋳前後の25年間を通してせいぜい3%程度の上昇で、急激に上昇した時期もあるにはあるが、これは凶作が原因のものであり、経済政策としては概ね成功していたと見ることができると、著者は結論している。荻原が担当した他の政策についても(かなり広範囲の仕事を任されている)そのほとんどで良好な結果が出ており、むしろかなり有能な官吏と見ることができる。荻原がトントン拍子に出世したのも、その能力が評価されてのものと考えられる。

 ではなぜ、日本史の教科書でこれほどこき下ろされているかというと、すべては新井白石の仕業で、将軍綱吉が死んだ後に政権の中枢に入った新井白石が、執拗なまでに荻原を糾弾し、政治の場から引きずり下ろしただけではなく、その後の自著でこき下ろしているためと言うのだ。新井白石は著書が多いため、後の時代にも影響力が大きく、そのために荻原重秀が悪役にされたというのが著者の見解である。

 また、荻原重秀は勘定奉行引退直後に、幽閉された上、突然死しており、これも新井白石の差し金である可能性を否定できないという見方をしている。新井白石が荻原を追及するときに訴えていたのが収賄疑惑で、荻原が26万両の賄賂を受けていたとして糾弾しているんだが、これについても他にまったく史料が残っておらず、白石が勝手に言っているだけ、勝手な言いがかりと考えられるらしい。とにかく白石は(なぜだかわからないが)荻原を大変毛嫌いしていて、そのために荻原をその地位から引きずり下ろして幽閉した(その後荻原は謎の死を遂げた)と言うのだ。

 フラットな視点で歴史的に回顧すると、荻原の政策はその多くが理に適っており、むしろその後の白石の政策がまったくなっていないということは、大体わかる。白石の政策の多くが、その後の政治を担当する八代将軍徳川吉宗によってことごとく覆されていることからもそれが窺われる。実際、白石の政治は、かつては「正徳の治」などと言われていたが、現在の高校教科書では「正徳の政治」と書かれていて、善政を表す「治」から格下げになったことが窺われる(「正徳の政治」では、用語としてまったく意味がないが、いまだにこれは残っている)。

 荻原重秀や新井白石の再評価が進めば、歴史学にとっては大きな一歩だと思うが、従来の歴史観を覆すのは相当な難題である。こういった、新しい解釈の本を通じてそれが進むことを望むばかりである。なお、筆者の専門は、社会科教育法である。むしろ門外漢だからこそ、歴史解釈に新しい視点がもたらされたのかも知れない。

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