車輪の下で
ヘルマン・ヘッセ著、松永美穂訳
光文社古典新訳文庫
19世紀ドイツと現代日本の共通性
ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセの代表作。
中学生のときの教科書にヘッセの『少年の日の思い出』が収録されていた縁で、中学生時代にヘッセの代表作『車輪の下』を図書室で何度も借りたが、結局まったく読まずじまいだった。その後もずっと興味を持っていながら手に取ることもなく、結局読んだのは今回で、『車輪の下』を初めて手に取ったあの中学生時代から数十年ぶりということになってしまった。
今回読んだのは、こなれた翻訳を売りにしている光文社古典新訳文庫版で、タイトルも『車輪の下』ではなく『車輪の下で』になっている。これについては訳者なりの意図があるようだ(主人公の闘いぶりを現在進行形で伝えたかったからと言う〈訳者あとがきによる〉)。文章自体はこなれていて、読みにくさはまったく感じなかった。ただ、舞台となったドイツの当時の習慣や舞台となっている風景が想像しにくかったという難点はあるが、これはもちろん翻訳の問題ではない。
主人公は、地方の小学校(に相当する学校)でまれに見る秀才、ハンスであり、周囲の期待に違わず、秀才が集まる神学校に進学するが、そこでいろいろと挫折を味わうというストーリーである。教師をはじめとする周囲の大人たちの無理解や、教育システムのいびつさが描かれていき、伸びやかに育つべき若い世代がこういったものに歪められていく過程が描かれていく。これは、現代日本の教育システムにも当てはまる問題点で、今の日本人が本書を読んだときにもっとも共感できる部分ではないかと思う。そのためか知らないが、この本、本国ドイツよりも日本で多く読まれているらしい(売上比でドイツの10倍だという)。
先ほども書いたが、背景がわかりにくかったり、自然描写がくどかったりして(これが魅力と感じる人もいるようだ)多少の読みづらさはあるが、僕自身、本書を通じて感じるところは大いにあった。特に初等・中等教育については、一体誰のためにそれを行っているのかという疑問が頭の中で渦巻くのだった。そしてそれは、まさしく現代日本の教育問題と直結している。そういう点でも時間を割いて読む価値は十分あったと思える。ただし、中学生のときにこれを読むことが適切かについては疑問を感じる。そういう意味では、あのとき読んでなくて良かったなと今にして思うのである。