アは「愛国」のア
森達也著
潮出版社
対談形式にはなっているが
主人公はあくまで森達也

『放送禁止歌』やオウム真理教の映画でお馴染みの森達也が、若い連中と対談するという企画。タイトルからわかるように、対談相手にはネトウヨみたいな人間も含まれる。
対談のメンバーは、森達也の他、司会者(潮出版社の西田信男って人)、A、B、C、D、Eで、Aが公明党のシンパの雑誌編集者(創価学会員と思われる)、Bがネトウヨの代表格みたいな会社員、CとDが学生(森達也が教鞭を執る大学の学生)、Eは中道の契約社員というラインアップ。話のテーマは、安倍政権が進めようとしている憲法改変、集団的自衛権の問題、軍備と戦争、中国や韓国との関係、さらには死刑制度、オウム真理教などで、ネトウヨ代表のBが、あらゆるテーマに対して「いかにも」な反応をし、それに対して森が応酬するという構図になる。いやもちろんそれだけではなく、他の参加者もいろいろ意見を表明しているんだが、一番面白かったのはやはり森とBのせめぎ合いである。
個人的には森達也自身に対してシンパシーは感じていないんだが、ネットにあふれるあまりに短絡的かつ身勝手なネトウヨ連中の論理には辟易しているんで、森に対しては「(ネトウヨを)もっといてもうたれ」くらいの感覚で読んでいた。テーマになっている事柄については森が非常に明解な考え方を持っていて、それに沿ってネトウヨの論理(大した論理性はないが)にきっちり反駁しているのは非常に良い。ネトウヨのB君は、反駁されたからといってもちろん意見を変えるようなそぶりは見せないが、第三者的に見ると論理はめちゃくちゃで、要は自分の心地良い見方でしか世界を見ていないということがわかる。森の論理については、感心する部分が非常に多く、なるほどと思う箇所も多かった。よくよく考えてみれば、本書でテーマになっている部分は森の専門みたいな領域が多く、森の土俵の上で相撲を取っているようなものである。もちろん森の論理がすべて正しいわけでなく、賛同できない部分もあるが、バランス感覚は優れているように感じる。
森によると、ネトウヨ連中は思想的に右翼的というのではなく、単に集団化(「集団へのより強い帰属を求める現象」)の結果であるに過ぎないのであって、大勢が集まることで「「成敗せよ」とか「許すな」とか「やっつけろ」とか、一人では言えないことも口にできるようになる。多くの人が一緒に唱和するから、自然に声も大きくなる。でもそこに政治的なイデオロギーはほとんどない。あるのは大勢で同調したいとの衝動だけだ」ということらしい。そしてそれがオウム真理教の暴走とも共通しているという。
またネット自体が、誰かまたは何かを叩くために適した媒体で「罵倒」を軸にした属性を持つというのも面白い視点である。そうすると今の安倍政権の右傾化もネット社会の言論を反映しているということになるが、こういう見方も目からウロコである。政府やマスコミが暴走するのも、それを望む大衆がいるからだという指摘は森によって再三行われているが、これもなかなか興味深い指摘である。
全編対談ということで、正直とりとめがない印象があるが、それでも森による考察がさまざまな部分に反映されていて、森の他の本や映画も見てみたいと思わせる本だった。ということは対談で呼ばれた5人の若者は、どんな威勢の良いことを言っていても所詮は狂言回しに過ぎないということになる。それを思うと、こういうスタイルの本というのはちょっとずるいんじゃないか……とも感じる。