蘭学事始

杉田玄白著、片桐一男訳
講談社学術文庫

『蘭学事始』の決定版

 先日見たNHKのドラマ『風雲児たち 蘭学革命篇』の影響で、底本(と思われる本)に当たってみた。読んでみて、やはりあのドラマは、ここからの情報がかなり盛り込まれていたということがわかった。

 あのドラマでも示されていたが、江戸時代中期、前野良沢、杉田玄白らにより『解体新書』が翻訳されてから、西洋の学術研究が「蘭学」という形で始まり、その研究の流れはそれ以降も続いた。つまり『解体新書』こそが蘭学の嚆矢こうしということができる。ただし『解体新書』には前野良沢の名前が記載されていなかったため、当時、その業績は杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周らのものとされていた。前野良沢の名前が広く知られるようになったのは、杉田玄白が著したこの『蘭学事始らんがくことはじめ』でその人物像について触れられていたためらしい。この『蘭学事始』は、蘭学の始まりである『解体新書』翻訳のいきさつについて杉田玄白が記したもので、前野良沢以外にも、その翻訳に関わった人々や、その後彼らに教えを乞いに来た人々についても紹介されている。

 この講談社学術文庫では、『蘭学事始』の上の巻と下の巻の両方の原文を書き下し文で収録しており(オリジナルは漢文ではないかと思う)、現代語訳もあわせて収録している。元々の『蘭学事始』自体(現代語訳でも)文庫本にして70ページ程度の長さであるため、分量的には原文と訳文が載っていてもそれほど大した量にはなっていない。むしろその両方が掲載されているために、現代語訳に疑問があればすぐに原文に当たることができるという点で大きなメリットがあり、非常に親切な配慮である。

 杉田玄白の原文は江戸時代後期(1815年刊行)の漢文調の文章であるため、実際のところ原文のままでもさして苦もなく読むことができるわけだが、読み進めることを考えた場合、当然のことながら現代語訳の方がはるかに読みやすい。しかも本書の翻訳文は、こなれた翻訳であるため、まったく問題ない(といっても原文自体が現代語にかなり近いのだが)。そういう点を考え合わせても、原文と訳文を並べた本書は、本として非常に優れたお買い得の一冊と言うことができる。

 また「解説」が60ページ以上あるのも、サービスだか何だかわからないが、良心的と言えるのかも知れない。解説では、タイトルが当初『蘭学事始』ではなく『蘭東事始』だった点や、それが二転三転した事情などについて考察されている。さらに本書の現代語訳に使われた底本や写本などの解説もあるが、こちらは、研究者でなければあまり必要なさそうな情報である。それはともかく、本書が非常に至れり尽くせりの本であることは確かで、『蘭学事始』に興味があるならば、この文庫本さえ買っておけば間違いない……というような本である。それは間違いない。

-日本史-
本の紹介『江戸の宇宙論』
-漢文-
本の紹介『漢文法ひとり学び』