故郷 / 阿Q正伝

魯迅著、藤井省三訳
光文社古典新訳文庫

作品も翻訳も良いが
訳者がしゃしゃり出ていてうるさい

 魯迅の代表作、「阿Q正伝」、「故郷」、「狂人日記」を集めた選集。

 「阿Q正伝」、「故郷」、「狂人日記」はすべて、元々魯迅の処女短編集『吶喊とっかん』に収録されたもので、本書には他に、「孔乙己コンイーチー」、「薬」、「小さな出来事」、「端午の節季」、「あひるの喜劇」「吶喊自序」、「兎と猫」が『吶喊』から選ばれている。さらに『朝花夕拾』というエッセイ風の短編集から「お長と山海経」、「百草園から三味書屋へ」、「父の病」、「追想断片」、「藤野先生」、「范愛農ファンアイノン」の6編が掲載され、全部で16編構成である。さらには訳者による「まえがき」、「解説」、「訳者あとがき」が結構な分量出てくる。

 翻訳を担当しているのは、藤井省三という東大の先生で、魯迅研究の第一人者なんだかどうだか知らないが、かつて「阿Q正伝」や「狂人日記」を翻訳した竹内好の日本語訳を(句点を入れすぎて不用意に文章をぶつ切りにしたということで)批判していて、この翻訳ではその難点を解消した旨、「訳者あとがき」で語っている。訳者の翻訳自体は、読みやすく、竹内訳のように文章を切りすぎていなくても、読むのに不自由することはない。訳自体は特に問題ないんだが、「解説」などで触れている魯迅作品の解釈が、魯迅にベタ惚れしているのか知らないが、深読みが過ぎるという印象が強く、少々呆れてしまう。

 それはともかく、内容自体は、興味深い作品が多く、表題作の「故郷」と「阿Q正伝」は、いろいろと考えさせられるところがある。個人的には「端午の節季」(山之口貘の作品を思わせるような作品)みたいなユーモア溢れるエッセイ風の自虐ネタが好きなんだが、これも訳者の藤井先生にかかると「主人公は知識人版「阿Q」といえる」らしい。「狂人日記」も、被害妄想の姿をよく描いていて、精神分析的な見方で僕は読んでいたんだが、これも、藤井先生にかかると、「中国における人間同士の孤独な関係性を、主人公の「僕」が抱く”食人”の妄想において集約し、さらに「僕」自身にも食人の罪を負わせることにより、「僕」と民衆との罪人としての連帯の可能性を探った哲学的小説としてまず位置付けられ」るそうである。

 僕自身は、魯迅作品にかなり関心を抱いたんだが、訳者がやたらしゃしゃり出るあたりが少々鬱陶しく、魯迅が生きていたらこういう大先生を皮肉るような作品を書くんじゃないかと思ったりする。訳自体は及第点だが、訳者(あるいは研究者)が必要以上に表に出てくるなと言いたくなる。

 なお、この光文社古典新訳文庫には、魯迅作品としては、以前紹介した『酒楼にて / 非攻』も入っていて、魯迅の基本的な作品群は網羅されているようである。『酒楼にて / 非攻』を読んだときは、なんでこんなマイナーな作品ばかり取り上げるんだと思っていたが、元々本書が最初に出版され、『酒楼にて / 非攻』はそれを補うような形で出版されたものだったということなんだろう。実際、本書が2009年刊行で『酒楼にて / 非攻』が2010年刊行であった。この2冊、魯迅入門書としては格好な本ではないかと思う。よくまとまったラインナップである。それだけに大先生のうるさいコメントが余計苛立たしい。

-文学-
本の紹介『酒楼にて / 非攻』
-古文-
本の紹介 『虫めづる姫君 堤中納言物語』
-文学-
本の紹介『変身/掟の前で 他2編』
-文学-
本の紹介『黒猫/モルグ街の殺人』
-文学-
本の紹介『白夜/おかしな人間の夢』