酒楼にて / 非攻

魯迅著、藤井省三訳
光文社古典新訳文庫

『故事新編』は説話風でユニーク

 「阿Q正伝」で有名な魯迅ろじんの短編集。「阿Q正伝」は『吶喊とっかん』という短編集に収められている作品だが、この文庫版には『吶喊』は含まれていない。本書を構成するのは『彷徨』と『故事新編』という2つの短編集から選ばれた8本の短編小説で、そういう点では異色の選択である。なお『彷徨』から選ばれているのは「祝福」、「酒楼にて」、「石鹼」、「愛と死」の4編、『故事新編』からは「奔月」、「鋳剣」、「非攻」、「出関」の4編である。

 『彷徨』は私小説風の作品が多く、個人的にはあまり感じるところがない。一方『故事新編』は、古い説話などからエピソードをピックアップしてそれを現代小説風にアレンジしたもので、こちらの方が断然面白いと感じた。それぞれ「奔月」は羿げい嫦娥じょうが(中国神話の登場人物たち)の逸話、「鋳剣」は眉間尺みけんじゃくの復讐譚(『列異伝』、『捜神記』などに見られるエピソードらしい)、「非攻」は墨子を主人公にした話(『墨子』「公輪」篇が原作らしい)、最後の「出関」は老子が主人公で、孔子との交流が描かれる(『史記』にもエピソードがある)。

 今回は墨子関連でこの本に着目したわけだが、墨子の「非攻」よりも老子の「出関」の方がむしろ興味深い内容であった。老子が『老子』を残したときのエピソードが描かれるが、孔子に追われるようにしてそれまで住んでいた土地を出て、函谷関で関所の役人に捕まり、講演を行うはめになるというような話。しかもその講演が聞いた人々にとってまったく理解不能で、土産代わりに老子が内容を書かされた(そしてそれが後の著作『老子』になった)というような話で、なかなかユニークである。

 「奔月」、「非攻」、「出関」は、元々高尚な印象がある素材を、現代風にして、ややとぼけたコミカルな表現を盛り込んでいるあたりが面白い(正義のヒーロー、丹下左膳を弓屋の女将のヒモとして描いた映画『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』みたいな味わいがある。あるいは『聖☆おにいさん』みたいな味と言った方がわかりやすいか)。

 とは言え、驚嘆するほどの内容があるわけでもなく、多少の物足りなさも残る。古典だから読んでも損はないと思うが、あまりお奨めしたいというような本でもない。ただ翻訳は非常に読みやすく、そういう点では良い本であると言える。代表作の「阿Q正伝」についても、いずれはこの訳者の翻訳でもう一度読んでみたいと思う(高校生のときに読んだが内容はほとんど憶えていない)。

-文学-
本の紹介『故郷 / 阿Q正伝』
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本の紹介 『ビギナーズ・クラシックス 老子・莊子』
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本の紹介『老子』
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