失われた時を求めて スワン家のほうへ
フランスコミック版

マルセル・プルースト原作、ステファヌ・ウエ作画、中条省平訳
祥伝社

退屈で読むのに骨が折れるが
価値は非常に高い

 読みづらいことで有名な『失われた時を求めて』のマンガ版があるということを知り、図書館で借りて読んでみた。描いたのはステファヌ・ウエというフランス人であるため、本作はバンド・デシネ(フランス版のマンガ)ということになる。原作がフランスの小説であることを考えると、フランス人がこれをマンガに翻案するというのはきわめて理に適っている。しかも本作は、発表以来フランスで大いに受け入れられていて(フランスだけで10万部以上売れたらしい)、大学や高校で(プルーストを教えるための)教材として採用されたりまでしているという。こういうことを考えると、内容も原作をしっかり反映しており、質的にも高いということが推測される。

 プルーストの『失われた時を求めて』は、全部で7篇あり、そのうちの第1篇がこのマンガで描かれている『スワン家のほうへ』である。『スワン家のほうへ』は、第1部「コンブレー」、第2部「スワンの恋」、第3部「土地の名 ― 名」で構成されており、すべて本書に収録されている。元々は1998年に「コンブレー」の箇所のみがマンガとして発表され、その後第2篇の『花咲く乙女たちのかげに』が発表されたらしく、第1篇の残りはさらにその後に描かれている。したがって本書は、発表後大分経ってから、発表済みの作品の中から第1篇の部分だけをまとめたという、親切な整理済みのバージョンである。なお第2篇の『花咲く乙女たちのかげに』もまとまったものが2022年に日本で販売されている。

 内容は、おそらくプルーストの原作をかなり忠実にマンガ化しているのではないかというもので、作画も非常に丁寧であり情景も具体的に描かれしかも大変美しい。優れた映像化作品に匹敵する出来で、『失われた時を求めて』に関心があれば読む価値は十分ある。ただし、絵自体は挿絵みたいな位置付けになっているため、(日本のマンガのように)登場人物が躍動するような印象はまったくない。それぞれのコマには、おそらく原作からの引用だと思うが、長い長い説明書きが付いている。セリフはあるが、そのセリフの中身も時代や階級を反映しているためにわかにわかりにくい。原作の読みづらさはそのあたりに原因があるのだろうと思うが、原作自体、基本的には主人公(作者の反映)が過去の記憶を思い出してそれを連綿と書き綴っていくというようなもので、時代背景を知らなければ相当わかりにくい内容なのである。特に当時のフランスの上流階級の生活などというものは、ほとんどの日本人にとって馴染みがないものである。そのため一般的な日本人がこれを原作で読むとなると、迷宮に入ってしまうことは間違いない。その点、本作は絵で画像化されているため、わかりにくさもかなりの程度緩和されるというわけで、それがこのバンド・デシネの最大の功労になっているわけ。なお本書には15ページに渡る注まで付いていて大変親切である。

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 そういった点で読みにくさを抱えていることから、200ページ程度のマンガであるにもかかわらず、読むのに非常に時間がかかったのである。マンガでなければ、間違いなく途中で読むのをやめていたはずである。なにしろ、背景のわかりにくさに加え、登場人物もバカに多い。名前だけ出てきたんでは誰が誰だかわかりやしない。マンガで描き分けされているためある程度区別できるわけで、それでも会話の中に他人の名前がどんどん出てくるため(上流階級の人々は他人の噂話が好きなのである)非常に混乱する。原作自体が思い出の表出であるため、プルーストにとってはそれで良かったのだろうが、読み手としてはちょっと適わないと思う。おそらく僕自身原作を読むことは今後もないだろうが、少なくともこのマンガを読んだせいで、第1篇に関しては全体的な見通しを得ることができたのは確かだ。そういう意味でも本作には大きな存在価値があると思う。教材として活用されたというのも納得できる。

 さらに言うと、風景の描写も非常に美しく、コンブレーの風景やブローニュの森の風景が美しい色合いで丁寧に描かれていて、絵を眺める楽しみもある。挿絵入りの本としても芸術性が高いと言える。

 やや退屈で骨が折れる本だったが、続編以降にも期待を持たせる。思うに、本作は原作の代用と考えても良いような著作であり、その点では横山光輝の『三国志』『あさきゆめみし』に匹敵するような作品と言って良いのではないかと思う。

-マンガ-
本の紹介『失われた時を求めて 花咲く乙女たちのかげに』
-マンガ-
本の紹介『三国志 (横山光輝版)』
-マンガ-
本の紹介『あさきゆめみし完全版 (1)〜(10)』