九十八歳。戦いやまず日は暮れず

佐藤愛子著
小学館

文筆家がもっとも大切にされ尊敬された
昭和期の最後の作家が消える

 2019年から『女性セブン』に連載した「毎日が天中殺」という小文をまとめた本。2017年に『九十歳。何がめでたい』を出版してからもさらにエッセイを連載し続けていたということが僕にとって驚きで、齢すでに98歳という。本人もこんなに長生きするとは思っていなかったろう。

 といっても、このエッセイによると、ヘトヘトの日々が続いたり、原稿を書こうと思っても納得のいくものが書けず、原稿用紙を破り散らすような日々らしい。挙げ句に電話の最中にいきなり昏倒し動けなくなったりもしている。総じて元気そうに映るが、肉体的にはいろいろなことが起こっているようだ。倒れたときなど、二階に同居する娘と孫に助け出されたが、その後、一段落したときに娘と孫が「それにしても、なかなか死なない人だねえ」と言われる始末。しかもそれに対して「ホント、私もつくづくそう思う」と答えるあたり、さすが佐藤センセイと思う。

 本人的には、満足のいく原稿がなかなか書けないらしいが、ここに出ているエッセイについては、まずいものはない。さして面白くないものもあるにはあるが、佐藤愛子のエッセイは昔から大体そういうもので、それは年齢のせいではなく、それでも総じて質は高いと言える。個人的には、女学校時代の話が一番心惹かれる。加賀千代女(「朝顔に つるべ取られて もらい水」の作者)の俳句に同級生とツッコミを入れまくっていたという「千代女外伝」や、小学生時代の著者が、受験生を対象にした特別放課後授業(当時は禁止されていたらしい)を受けさせられていたが、その後それが明るみに出て著者の落ち度にされたという「嘘は才能か?」などがユニークである。他にも、父、佐藤紅緑が断筆したときの「マグロの気持ち」などが特によくできていて面白いと感じた。

 『九十歳。何がめでたい』同様、文字が非常に大きく、しかも漢字の旧字体がそのまま使われていたりして(「商賣(売)」や「白晝(昼)」や「讀(読)者」などが冒頭から出てくる)、年配の人向けの配慮がなされているようだ。読み始めは多少違和感があるが読んでいるうちにすぐ慣れる。

 最後の最後を「みなさん、さようなら。ご機嫌よう。ご挨拶して罷り去ります。」という一文で結んでいるため、いよいよ断筆の決断をなさったのではないかと思う。文筆家がもっとも大切にされ尊敬された昭和期の最後の作家が消える瞬間と言える。

 なおタイトルは、著者の代表作、『戦いすんで日が暮れて』をもじったものであることは容易に想像できる。毎度ながらタイトルが奮っていると感じる。

-文学-
本の紹介『戦いすんで日が暮れて』
-随筆-
本の紹介『九十歳。何がめでたい』
-随筆-
本の紹介『娘と私の部屋』
-文学-
本の紹介『困ったなア』