雪国

川端康成著
岩波文庫

駒子の人物像が異様
何が面白いのかわからぬ

 川端康成の代表作『雪国』を40年ぶりに読んでみた。

 『雪国』は若い頃一度読んでいるし岸恵子主演の映画も見ているが、実は内容をほとんど憶えていなかった。先頃NHKで放送されたドラマ(『雪国 -SNOW COUNTRY』)は、ストーリーはわかりやすくまとめられていたが、なにぶん原作に忠実であるかどうかが判然としない(内容を忘れているため)。そのため今回、内容が原作に忠実かどうかを確認するために読んだのだった。

 で、結論を言うと、セリフ回しを含め、かなり原作に忠実と言うことができる。あのドラマで受けたセリフ回しの違和感は原作にもそのままあって、原作でのセリフ回しの気持ち悪さはドラマ以上であった。少々不気味なほどである。違和感だらけで、主人公の駒子は一体どういう性格なのかが見えてこないし、セリフのせいで余計わかりづらくなっている。おそらく作者は『伊豆の踊子』の踊子のような人物像にしたかったのではないかとも思うが、違和感のあるセリフのせいで異様になっている。正直、ちょっと読むに堪えないレベルである。

 巨匠の作品にいろいろ言うのもどうかと思うが、僕にはこの小説のどこが面白いのかがまったくわからないのであった。雪国の情景描写などが評価されているようであるが、描写がくどすぎる上、情感が伝わってくるというような代物でもない。途中から完全に読むのに飽き飽きしてきた。

 ある知人は、『雪国』の文章が非常に魅力的でそのせいで川端康成が好きになったと語っていたが、僕に言わせると文章がかなり気障で、僕自身はまったく好きになれない。人物の性格に一貫性がなく、どの登場人物もどういう人物かがよく見えてこないのもマイナス材料である。この岩波文庫版には川端康成自身の手による「あとがき」があり、それによると、最初に書いて発表したのは本当に冒頭の部分のみで、好評だったためにその後何度も書き継ぎして(発表を繰り返し)、結果的に今の形になったという。全体の一貫性のなさやバランスの悪さはもしかしたらそのあたりに由来するのではないかと思う。最初の短編で終わっていればある程度の叙情と余韻を残した状態で完結していたと想像できるため、それほど瑕疵が気にならなかったと思うが、増築して中編にしてしまったことから、結果的に完成度の低いギスギスした作品になってしまった。

 今回僕はわざわざ岩波文庫版を購入して読んだわけだが、岩波文庫自体は作者本人の「あとがき」まであって上々ではありながらも、内容がこれでは……という感じである。先述のドラマも、登場人物の駒子がやや分裂気味でそれが違和感の原因だったが、しかし翻案としては上手いことまとめていると、原作を読んだ今は感じる。ドラマの最後で行っていた種明かしも、分裂した原作のストーリーを再構築するような役割があって結果的に良い効果を出していた。順番としては、ドラマを見てから原作……というのが良いような気がする。

-評論-
本の紹介『思い出の作家たち』
-文学-
本の紹介『「ニューヨーク・タイムズ」のドナルド・キーン』