私が源氏物語を書いたわけ
山本淳子著
角川学芸出版
平安時代の貴族の女性の生き方を再現
紫式部の一人称・独り語り形式で、『源氏物語』の成立の意義や意味に迫る本。著者は、『平安人の心で「源氏物語」を読む』の山本淳子(平安文学の研究者)。
原典になっているのは『紫式部日記』と『紫式部集』、それからもちろん『源氏物語』で、随所にそれぞれの作品からの引用が出てくる。引用にはすべて現代語訳が付けられているため、読む上で困ることはない(『紫式部日記』は原文で読むには少々難しい)。
本書によると、紫式部が『源氏物語』を書くきっかけになったのは、家族や友人と死に別れた悲しみを、それまで女子どもの慰みものとして提供されていた「物語」という形式で晴らすことだったということで、元々は「帚木」をはじめとする三帖で構成された短編だったらしい(『紫式部日記』の記述より)。この原『源氏物語』には、紫式部の時代の今上天皇(一条天皇)の中宮(皇后)である定子の不遇な後半生が反映されているということも、本書で触れられている。
その後、『源氏物語』が宮中で評判となったせいで、作者の紫式部は、もう一人の中宮、彰子の元に女房(侍女)として出仕するよう乞われる。要請してきたのは、政治的野心に燃える藤原道長(彰子の父)で、彰子の周辺に知的な環境を作って、定子を失って失意の今上天皇の気持ちを彰子の方に向けようという魂胆がそこにはあった。紫式部の方は、女房を使う身であった自分が女房として出仕することに抵抗を感じはしたが、たっての願いで、半ばイヤイヤながら出仕を始める。しかし宮廷女房を取り巻く雰囲気がいやになってすぐに自宅にひきこもり、次に出仕するのは半年後。ただそれ以降は、バカを装うことで、他の女房たちとも割合うまくやっていけるようになった。
ただ女房の世界にも面倒なことは多く、本書では、そのあたりのことも一人称で書かれている。中にはいじめや嫌がらせもあって、時代や環境を超えても人のやることは変わらないと実感させられる。同時に中宮彰子の方も、藤原道長の強引な手腕の影響を被ることになり、決して幸福とばかり言えない境遇になる。このあたりは中宮定子とも共通する部分で、宮中政治の暗部が顔を見せる。
こういった記述のほとんどは『紫式部日記』と『紫式部集』に基づいているようだが、著者の主観みたいなものもかなり入っているのではないかと思われ、どこまでが事実でどこまでが憶測かは判然としない。また、小説風の独り語り形式も、もちろんこういう形式を取ったこともわからないではないが、しかし読んでいて少々気恥ずかしい。あまりに現代的にするのもどうかという気もする。ただ、今も昔も変わらないという観点から見ると、現代的な表現も実は効果を発揮しているのかも知れず、そのあたりは判断が難しいところではある。いずれにしても平安時代の貴族の女性の生き方が再現されているため、平安文学を読む上で大いに助けになることは間違いない。