数学受験術指南

森毅著
中公文庫

大学入試の裏側をご開陳

 1981年に出版された本で、僕は受験生時代にこの本を買って読んだんだが、あまりのことに衝撃を受けた、そういう類の本。もちろん良い意味で……である。

 当時京都大学の教授職に就いていた著者が、大学の入試の採点はこういうふうに行われるんだということを非常に細かく紹介するというのが前半部、後半部は、高校での数学の勉強の仕方、取り組み方について著者なりの意見を披露する。ただし内容は世間一般の常識からかなり逸脱していて、件に出回っている勉強法の本とは一線を画している。その破天荒さは前半部の入試採点現場の記述にも当てはまり、僕が当時衝撃を受けたというのはこの部分なんだが、それはそれは細かく教えてくれる。

 たとえば、記述式の数学の問題で、受験生の解答の冒頭1箇所に計算ミスがある場合どういうふうに採点されるか。模試なんかだとこれが0点になるわけで、一般的な受験生はそういう悪習に慣れてしまう。で、実際の入試の現場ではどうするかというと、採点官が、その間違った計算ミスの結果を使って、その受験生と同じように解法を進めていって、それでその受験生が出している解答と同じ結果になったら、計算ミスの分だけが減点されることになる。つまり30点満点で28点とかもらえるわけだ。しかしよくよく考えてみると、これは至極ごもっともな採点法で、最初に計算ミスをやったことが、数学においてそれほど(0点として採点されるほど)重大で決定的なことなのか、理性的に考えればすぐわかるのだ。ただ、大学の採点で採点官にそこまでやってもらえるということが、当時の僕には非常に新鮮だった。他にも斬新な方法で解答を記述していながら途中でやめている解答についても、採点者がその方法でその後も解いてみる(それで解答が出せた場合、それなりの評価が与えられる)などということが書かれていた。長時間かけてやってみて結局解けなかったなどということもあるらしい。

 こういうことは、採点者が良心に基づいてやっているというより、むしろ採点者の自己防衛のために行われているというんだから面白い。つまり採点担当者が行った採点が、別の担当者によって評定を受けるシステムになっているらしいのだ。言ってみれば二重チェックみたいなものだが、採点者を最終的にチェックする「採点者の採点者」みたいな人がいて、抜かりがある採点を厳しくチェックするという。若い研究者(採点者の採点者)にベテラン教授(採点者)がつるし上げられるということもよくあるらしく、こういう記述からも現場の雰囲気がよく伝わってくる。少なくとも、論述を課している大学では、(某大手模試のように)「全か無か」みたいな二元論的な採点をすることはないということで、大学当局がしっかり入試の採点をしてくれているということがわかるわけだ。受験生は真の実力(に近い実力)が試されるということで、受験生にとってはまあ一安心である。

 で、真の実力を付けるためにはどういう勉強をしたら良いのかということになるが、それが書かれているのが後半である。これも相当変わっているため、普通の受験生が受け入れられるかどうかは何とも言えないが、ただ僕が今読むと、非常に理に適っていると思う部分が多い。僕自身も浪人時代はこういう勉強法を自然にやっていたような気がする。それにしたって入試の実情を知らなければできないわけで、多くの受験生がいまだに間違った狭隘きょうあいな勉強法をしているのはそのためとも思える。世間の進学校は相変わらず後ろ向きの勉強を生徒に強いていて、圧倒的な物量の課題で生徒を締め付けている。こういった所業はことごとく逆効果のように感じているんだが、それは僕だけではあるまい。高校の先生たち、とくに数学の先生はぜひこの本を読んで柔軟な思考法を身につけてほしいと思う。そして生徒を圧迫しないでほしいと切に願う。

 さてこの本だが、上記以外に、著者の受験生時代の話や採点者から見た数学答案の理想的な書き方まで紹介されていて非常に充実している。数学答案の書き方も理に適っていて納得する。こういう受験生のバイブルみたいな本があまり一般に知られていないのが残念で、オリジナルの中公新書の方はすでに絶版になっている(僕が以前読んだものが中公新書版)。ただし文庫版が健在で、目立たないながらも存続している。繰り返しになるが是非とも高校の教師たちに一読いただき、そして生徒に勧めていただきたい本である。

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