現代語訳 南総里見八犬伝(上)

曲亭馬琴著、白井喬二訳
河出文庫

歌舞伎風の荒唐無稽なストーリー
翻訳◎、原作△

 『南総なんそう里見八犬伝さとみはっけんでん』と言えば、我々の世代はかつてNHKで放送されていた人形劇『新八犬伝』を思い出すわけで、僕なども当時かなりの部分を見ていたため『八犬伝』自体にはなじみ深い。とは言ってもストーリーについてはあまり憶えていない。南房総(つまり南総)安房国あわのくにの里見家から、とある因縁により8人の義士が誕生し全国に散らばることになる。その8人の義士というのはすべて犬に関係しているため(姓に「犬」が付いている)八犬士と呼ばれているんだが、その彼らが義のために安房国へ一堂に集まり、悪者を倒していくというストーリーである。憶えているのはその程度である(そもそもこの程度のストーリーであれば「南総里見八犬伝」というタイトルからも連想できる)。

 一方で登場人物の名前についてはそれなりに憶えており、犬塚信乃しの、犬田小文吾こぶんごらの八剣士の名前の他、関東管領かんとうかんれい扇谷おうぎがやつ定正さだまさ寂莫道人肩柳じゃくまくどうじんけんりゅうなどという複雑な名前まで、(ナレーターの坂本九が語っていた)音で憶えているんで、それを考えると子どものときの記憶は恐ろしいもんである(おかげでこの本を読むに当たってはこの記憶が非常に役に立った)。

 他にもテレビ版では「我こそは玉梓たまずさ怨霊おんりょう」とか「さもしい浪人、網乾左母二郎あぼしさもじろう」などというキャッチフレーズもたくさん出てきたが、こういったものもいまだに頭に入っている。もっともこういった記憶は、『南総里見八犬伝』を読むとき以外ほとんど役に立たない情報なので、むしろ忘れた方が良い知識かも知れない。だがしかし『南総里見八犬伝』を読むに当たっては途端に役に立つ情報に変わるんで、このような(一般的には)どうでも良い知識を蓄えている同世代の(かつて『新八犬伝』を見た世代の)人たちは、一度『南総里見八犬伝』を読んでみたら良いかも知れない。

 オリジナルの『南総里見八犬伝』は、江戸の文化期から天保期に28年もの歳月をかけて曲亭馬琴が発表した読本(長編小説)で、全98巻、106冊構成という大著である。『南総里見八犬伝』自体は割合人気のある著作であるため、当然原文で書かれたもの(岩波文庫版など。それでも10巻組)も出版されているし、マンガ版なども出ている。もちろん原文で当たるのが一番良いのだろうが、とにかく長いし、登場人物がやけに多かったりあちこちに話が飛び回ったりでかなりややこしい部分もあるため、江戸古語で読むより現代語で読めたらそれに越したことはない。それに原典で無理して読むような内容でもなさそうである。私の記憶が確かならば、言っちゃあ悪いがかなり荒唐無稽で無茶苦茶な話である。良い現代語訳があるんなら、やはりそちらに当たりたいところである。

 で、そういう現代語訳が実はあったのだ。現代語訳したのは白井喬二という人で、今ではほとんど知られていないが、かつては時代小説を量産していた流行作家である。こういう職業作家が戯作小説を訳して、時代小説スタイルでそれを綴っていくというのは、この『南総里見八犬伝』について言えば理想的な組み合わせと言える。ただでさえ相当長い原作であるため、とりあえずこういったものを読んで、もし必要であれば原典に当たる。そういったアプローチがベストなのではないかと思う。そういうわけでこのたび、この本を読んだのであった。この現代語訳版についても、上下二分冊で、しかも上巻だけで600ページとそれなりの分量があるんで、読むに当たってそれなりの覚悟は必要かも知れない。

 今回じっくり上巻を読んでみたところ、内容は先ほども書いたようにやはり荒唐無稽で、話があっちに飛んだりこっちに飛んだり、しかも偶然に偶然が重なるということも非常に多く、端的に言ってしまえば超ご都合主義のエンタテイメント小説である。だが、方々にワクワクドキドキの要素が散りばめられているため、江戸の当時28年かけて少しずつ刊行されたが人気が衰えなかった、というのもわかるような気がする。また巻と巻との間が絶妙な場所で区切られているため、読者に次の巻を早く読みたいという気分にさせたであろうことも容易に想像される。こういったテクニックは多分に商業主義的ではあるが、商売人としてはうまい手法と言える。格闘シーンも随所に用意されていて、しかも登場人物が危機に陥ることも多いが、超人的な力でこういった難局を切り抜けていくようになっている。このように総じて歌舞伎みたいなストーリーで、(歌舞伎が大人気だった)当時の江戸の読者の気を引いたであろうことは想像に難くない。ただ、現代的な感覚では、そのご都合主義にかなり白けてしまうという面もあり、オリジナルのストーリーについては、あまり熱中するほどのものではあるまいとも感じる。一方でこの現代語訳版については大変読みやすく現代小説的であるため、エンタテイメント小説が好きな層にはそれなりにアピールするんじゃないかと思う。

 つまり総合するとこの文庫版の僕の印象は、現代語訳◎、原作△というところに落ち着く。そのため『南総里見八犬伝』にとりあえず当たってみようかという人たちには、この本が最善の手段になるのではないかと思う。また、原典の味わいも再現されているため、江戸時代に流行った「読本」というものがどういうものかについても身をもって実感できる。そういう意味でも、非常に価値の高い現代語訳版だと思う。

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本の紹介『現代語訳 南総里見八犬伝(下)』
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本の紹介『げんじものがたり』
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本の紹介『春色梅児誉美―マンガ日本の古典』