げんじものがたり

紫式部著、いしいしんじ訳
講談社

ビビッドな新『源氏』
気品はおへんけど、えろぉ読みやすおす

 『源氏物語』の現代語訳である。元々は『京都新聞』に連載されたものらしい。

 いまさら『源氏物語』の現代語訳……と思われる向きもあるかも知れないが、しかしこれは、かなり異色の現代語訳版である。というのは、全編、地の文を含み、京都弁で書かれている。しかも単に京都弁というだけでなく、かなり今風の言葉が駆使されており、「セレブ」とか「プレイ」とかいう単語までがふんだんに出てくる。それどころか、「チャラい」、「キモい」(紫の上のセリフにある)などといった言葉まで出てくるなど、従来の『源氏物語』の上品なイメージからかなりかけ離れた記述になっている。もちろん、『源氏物語』が書かれた頃に『源氏』にこういったイメージがなかったとも言えず、今の上品なイメージが当時もあったかどうかは容易に判断できないが、それにしても、これまでの現代語訳版と比べると著しくかけ離れている。それだけは確かである。

 こういった思い切った翻案は否定的な意見も多いだろうが、しかしこれほど読みやすい『源氏』はこれまでなかったと言うことはできる。他の現代語版の『源氏物語』に漂う変な気取りが感じられないため、多少下品な感はあるが、登場人物の心情がストレートに伝わってくる。そのため、現代語訳としての役割は、他の現代語版『源氏』にないくらい大きい。しかも、ちょっとやりすぎじゃないかと思われるような箇所も、原典に当たってみると、割合正確に訳しているのに驚く。たとえば「わかむらさき」の最後の箇所。

……もともと、そんなしょっちゅう会う間柄でもなかったわけやしね。
 いまはこの、新しい「おにーちゃん」に、ほんまようなついて、めっちゃ仲良し。外から帰ってきはったら、まっ先にお出迎え。光君の、膝の上に抱っこされて、ひそひそ、かわいらしゅうおしゃべりしはって。
 もうぜんぜん、照れたり恥ずかしがったりなんかしはらへん。こういうプレイの相手としては、ま、いうたら女神。理想なん。
 むこうに妙な分別がでてきて、なんやかや、ややこしい関係になってきたりしたら、男はんのほうでも、気もちの行き違いからつまらん思いもしとないし、て変な遠慮が出るやん。それでかえって誤解されたり、思いもよらへんいざこざが、いつのまにか起きたりするもんやけど……。
 紫ちゃんには、そんな気づかいご無用。おぼこいまんまの、最高のプレイ相手。血のつながった父娘でも、さすがにこれくらいの年頃になったら、気やすうおしゃべりしたり、いっしょに寝たり遊んだり、ふつうありえへんやん。光君にとったら、マジ箱入り。お人形さん、イン・ザ・ボックス。

 同じ箇所の『谷崎源氏』

……もともと宮のお側を離れてお暮しになるのが、習いになっていらっしゃいましたので、今はただこの後の父君に、たいそうむつまじくおまつわりになります。お帰りになればまずお出迎えになって、なつかしそうにお物語をし、ふところにお抱かれになっても、少しも嫌がったり恥かしがったりなさる風がなく、そういうところは何とも言えずお可愛らしいのでした。もし嫉妬などという心があって、何のかのとむずかしい事件が起って来ますと、男君の方も自分の気持に変化が起りはしないかと心を使い、女君も男君を恨みがちに、自然思いのほかのことも生じて来るのですが、これはほんとうに罪のないお遊び相手なのです。全く、実の娘でも、もうこのくらいの年になれば、そう心やすく振舞ったり、一緒に起き臥ししたりなどはできにくいものですのに、これは非常に風変りな秘蔵娘であると、思っていらっしゃるらしいのです。

 さらに、同じ箇所の原文。

もとより見ならひきこえたまはでならひたまへれば、今はただこの後の親を、いみじう睦びまつはしきこえたまふ。 ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。 さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。
さかしら心あり、何くれとむつかしき筋になりぬれば、わが心地もすこし違ふふしも出で来やと、心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、おのづから出で来るを、いとをかしきもてあそびなり。女などはた、かばかりになれば、心やすくうちふるまひ、隔てなきさまに臥し起きなどは、えしもすまじきを、これは、いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、思ほいためり。

 「お人形さん、イン・ザ・ボックス」はさすがに少し悪ノリではあるが、しかしかなり律儀に訳されているのが分かる。それに「かいらしい」とか「したはる」とかの京都弁も味があって良い。帝が源氏に対して説教する場面では「……しよし(「しなさい」の意味)」みたいなセリフまで登場して、なかなか笑える。

 ただ先ほども言ったように、全体的に気品があまりないため、光のような存在のはずの光源氏が随分チャラい男に思える。そのあたりが最大の難点である。

 僕は以前、『谷崎源氏』(『谷崎潤一郎訳源氏物語』)を買ったんだが、あまり読み進む気にならず、そのまま積ん読になっていた。しかし今回、この本と比較するために随時取り出して参照してみた。『谷崎源氏』は『源氏』の現代語訳としては評価の高い本ではあるが、このいしいしんじ版に比べると、妙にかしこまっているように感じ、面白味に欠ける気さえしてくる。

 いろいろと異論はあるかも知れないが、本書については僕なりに評価したいと思う。ただ、連用形で終わるような表現(上記の例でいうと「おしゃべりしはって。」みたいな記述)が、特に序盤、たて続けに出てくるのが少し気色悪く感じた。こういう表現は、今風なのかも知れないが、読んでいて気持ち悪い。

 なお本書は、『源氏』のすべての部分を現代語訳しているわけではなく、適宜省略されている。そのため「抄訳」とうたわれている。また本書に収録されているのは「桐壺」(本書では「きりつぼ」)から「葵」(本書では「あふひ」)までの9帖である。続編が出るのかどうかは知らないが、現時点では『源氏』のごく一部に過ぎない。

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