怪談 牡丹燈籠
三遊亭円朝著
岩波文庫
これが日本近代小説の源
明治期に、伝説的な噺家、三遊亭円朝が、古今東西のさまざまな物語を翻案して、多彩な創作落語(現在では古典落語になっている)を高座にかけたことはつとに知られているが、その中の一作がこの『怪談 牡丹燈籠』。
オリジナルの話は、中国明代の『剪燈新話』(瞿宗吉作)に収録された小説『牡丹燈記』であるらしい、本書の解説(奥野信太郎)によると。この円朝の高座を、速記で記録し出版したら面白かろうと考えた人が現れ、明治17年にその速記本が出版された。これは、円朝の語り口をほぼそのまま記録しているというもので、末廣亭(人形町末廣)で15日間連続で演じたものを速記者が2人がかりで記録したらしい。稗史出版會社から刊行されたこの本(当初は雑誌で連載)は、円朝人気もあり、大当たりを取ったという。
同時にこの円朝の速記本、日本の文学史に大変大きな影響を及ぼした。というのは、二葉亭四迷の日本最初の言文一致体小説『浮雲』が、その文体として円朝の速記本をモデルにしたためである。これは坪内逍遥の示唆に従ったものだと言うが、坪内逍遥自体、この速記本を非常に高く買っていたようで、本書の出版に当たって序文を寄せている。それが、この岩波文庫版にも収録されており、こちらも価値が高い。
さて内容についてではあるが、2つの話が同時進行で進められる。旗本飯島平左衛門を騙し討ちにした妾、お国と、その愛人、宮邊源次郎、そして彼らに対して主君、飯島の仇討ちを遂げようとする黒川孝助の話が1つの流れで、もう一つは平左衛門の娘、お露と、浪人、萩原新三郎の恋の話(こちらが怪談)、そしてそれにまつわる、伴蔵と妻のお峰の窃盗、逃亡の話である。最終的にこの2つの話が一つになるという趣向ではあるが、どうにもまとまりがなく、部分部分はよくできているものの、大きなストーリーとしてはちょっと首をかしげたくなる。またそれぞれの情景が行き当たりばったりで、どこか江戸時代の戯作(たとえば馬琴の『八犬伝』や『弓張月』)を思わせる。あるいは歌舞伎の通し狂言のようなものと言っても良いかも知れない。もっとも『牡丹燈籠』自体、元々は江戸時代(文久年間)に作られて発表されているため、戯作風、歌舞伎風であるのは極自然ではある。最終的に「谷中にある新幡随院の濡れ仏の縁起」になるという終わり方をしているのも、落語のオチのようでそれらしいとも思える(実際落語なんだが)。
このように、現代的な感覚から行くと物足りなさが残るが、細部の描写が割合しっかりしているせいか、その後、映画になったりドラマになったり、あるいは翻案されたりということが繰り返されている。それぞれの翻案ものでは、お露と新三郎の怪談がその主要なモチーフとして使われている(あるいはそこだけ拾われている)ことが容易に想像されるが、詳細についてはわからない。
文体自体は、言文一致体の元になったということもあり、ところどころ意味不明な箇所もありはするものの、現代風で非常に読みやすい。円朝の語り口がそのまま再現されているかのようにも感じられる。