三河吉田藩・お国入り道中記
久住祐一郎著
集英社インターナショナル新書
大名行列の実際に迫る
時代劇でよく出てくる大名行列。大勢の武士の行列が「下に、下に」などと叫びながら、庶民階級の人々が土下座する中を通過するというのが一般的なステレオタイプである。ただ実際は、人々が土下座するというのは誇張された表現で、そういう場合もあったかもしれないが、そうでない場合もあるということは、かつて石川英輔の本で読んで知っている(『石川英輔の本、5冊』を参照)。考えてみれば全国に250以上の藩があって、それが1年おきに自藩と江戸を往復するのであれば各藩の大名行列は毎年行われることになり、とすると単純計算で1年間に日本全国で250回の大名行列が行われることになる。辺境地域であればまだしも、江戸市中では1日〜2日に1回以上大名行列が通過するので、いちいち土下座なんかしていたら商売になりゃしない。そういうことは少し考えてみたらわかるのだ。だがこういう誤解が生じるというのも、大名行列の実態が、一般に詳しく伝えられていないためである(土下座するのは御三家とか徳川家に近い大名に限られたらしい)。
そこで登場したのがこの本。残された史料から大名行列の実態に迫り、どのような規模、どのような予算、どのような日程、どのような準備で参勤交代が行われたかを明らかにしようとする。使われた史料は、三河吉田藩に仕えた大嶋左源太という人が残した「大嶋家文書」、それから関連するいくつかの文書である。そのため、俎上に上がる大名行列は三河吉田藩のものになる。この大嶋左源太、非常に筆まめらしく、大名行列に参加したときの記録も詳細に残しているらしい。しかも左源太自身、参勤交代担当目付という地位に就いていたため、内部から見た参勤交代事情がよくわかるようになっている。そこで、この大嶋家文書を丹念に読み解いていこうというのが本書の目論見である。
本書では、三河吉田藩の事情、藩主の状況から丁寧に書き起こす。それに続いて(藩主の交代に伴って新藩主が江戸から国にお披露目のために戻る)国入りの行列が行われる場面に注目する。ここで敢行される大名行列にあたって、担当の役職に就く侍たちは準備に精を出すのである。日程の決定に始まり(これについても他の大名と重ならないように工夫したり、幕府から許可を得たりしなければならない)、参加者と彼らの仕事の決定、予算の設定、宿の手配、他藩との折衝などが進められていく。しかも幕府から許可が速やかにおりないことから日程を延期しなければならなくなったりなど、現代の行政や企業の手続きなどと共通するシーンもある。いつの時代になっても、人のやることに大きな違いはないものである。
後半は、実際の参勤交代の足跡を史料を基に再現していくというもので、かなり具体的になる。各地域で献上物を提出しようとする人(有力者や商売人)が相次ぎ、ほぼ毎回断りを入れるなどというのも面白い話である。断りを入れるのは、受け取った場合、返礼金(原則的に金百疋)を与えなければならないためで、予算を超えないようにするため、うかつにものを受け取るわけにいかないというのである。
この本では、大名行列の実際が、臨場感を伴って再現されるため、行列がどのように行われるかが非常によくわかる。具体的には、藩の正規の職員、つまり藩士は100人程度で、その他に150人程度の中間(言わば派遣労働者)を手配して、この規模を維持しながら1週間程度で江戸から三河に帰っていく。なお中間たちについては、専門の業者が手配する。当時、その手の業者が存在しており、いろいろな藩の参勤交代に関わっているらしいのである。宿の手配などを含め、パッケージで請け負うらしい。
吉田藩の場合、この約250人規模の行列だが、フルセットで行列を組むのは、江戸市中、関所通過時、お国入りのときぐらいで(藩の偉容を庶民に見せつけたいという動機である)、あとは概ね簡易隊形(藩主を中心とした20人程度の隊列)で進む。またその中間の隊形もあり、随時隊を組んだり解いたりしながら進んでいく。宿に先乗りする一隊まである。藩主は基本的に駕籠に乗っているが、途中(箱根の山越えなど)何度か自分の足で歩いたりもしている。しかしこのように見ていくと、すべてが非常に機能的で合理的である。当然と言えば当然であるが、あくまでも日常業務の一環であるため、ドラマ・映画で行われるような祝祭的な一回限りの豪華な行列がたびたび行われるわけがないのである。これもよくよく考えてみれば明らかなのだ。
ましかし、日本史の世界は、こういった都市伝説レベルの常識が今でも幅を効かせているのが実情で、そういった部分に穴を開けていくのは大切な仕事である。ましてや史料の十分な裏付けを持った本書のような仕事は重要である。また史料についても、このような形で当時の様子を再現するために使えば、有効活用と言える。史料だけ見せられても、普通の人は面白味を感じないが、再現という形であれば多くの人が楽しめる。そういう点でも、この著者によるこの本、大変良い仕事だと言える。
第3回日本ど真ん中書店大賞受賞