兼好法師
徒然草に記されなかった真実
小川剛生著
中公新書
登場人物も話も雑多で
きわめて読みづらい本
『徒然草』の著者とされている兼好法師の素性を追究した本。
世の中では吉田兼好、卜部兼好などとも呼ばれる兼好法師だが、本書によると、「吉田兼好」は、吉田神道で有名な吉田兼倶による(自身の家系を優れたものに見せるための)創作であり、和歌の作者として自ら名乗っていた「兼好法師」と呼ぶのが正しいらしい。実際、勅撰集などにも「兼好法師」名義で和歌が選出されており、晩年(1350年頃)も和歌の名人として名高かったらしい、本書によると。なんでも、二条為世という歌道の大家の弟子で、当時、四天王(他の3人は、頓阿、慶運、浄弁)と呼ばれた和歌の名人の一人に数えられていたというのだ。
若い頃は鎌倉幕府の第15代執権、金沢貞顕に仕えて、京と鎌倉を往復するなどしていたが、その後出家して、遁世者の身分であちこちの宮廷人、武士たちと付き合っていたというのが、著者の見立てである。そのために交友関係も広く、そのあたりの事情も『徒然草』の記述に反映しているという。また、金沢貞顕が絡んでいた六波羅探題周辺や、晩年居住していたと考えられる仁和寺周辺が『徒然草』に再三登場するというような指摘もある。もっとも本当のところは、こういうことを断定できる素材自体あまり存在しない、つまりここで書かれている多くの事項が著者の推量に基づくというのが真相のようだ。
本書には、このように方々に興味深い記述もあるにはあるが、しかし全体的に非常に冗長で、しかも話が中心から離れてどんどん迷走していく(少なくともそう映る)ためにわかりにくさはひとかたならない。登場人物もきわめて多く、こちらも話の中心とあまり絡んでこなかったりして、読みづらさに拍車をかける。全体的に論文風で、他の学者の説に異を唱えたりもしている。このあたりは『観応の擾乱』や『応仁の乱』と共通。前にも書いたが、そういうレベルの記述が、この類の本を読むような(専門家以外の)一般読者にとって必要なのか、良く考えてから書いてほしいと思う。こういった記述は、面白くもないし退屈なだけである。それでもそういう論にしたいのであれば、もう少し範囲を狭めて書かなければ、これだけ雑多に話を広げて、さらに他説への批判まで繰り広げられた日には、何が何だかわからなくなる。そういう点で、『観応の擾乱』、『応仁の乱』同様、程度が低い本に入れるべきと考える。今回、図書館で借りた後、返却期間に間に合いそうになかったんで購入したんだが、大変後悔している。これは断じて買うべき本ではなかった。もう中公新書の歴史本はよすことにする。