三野公園は巨大前方後円墳なのか?

 身近にある名所・旧跡に行ったことがないという話は意外によくあることで、岡山に(しかも割合近所に)20年以上住んでいながら行ったことがない場所が実はあった。それが三野公園で、当初は特に興味もなかったが、Google Mapみたいなものが普及してから改めて三野公園の形状を航空写真で見ると、前方後円墳のような形に見えることから、にわかに関心が湧いたのだった。

 麓から見た姿もいかにも前方後円墳然としているが、その割には三野公園が前方後円墳という話は聞いたことがない。ただネットで検索してみると、やはり同じように前方後円墳でないかと考えている人がいるようで、「実は羨道や玄室が存在し、古墳である可能性が高い」とするサイトもあるにはある(「日本最大・吉備岡山最大の古墳(前方後円墳)発見!?」)。このサイトによると「この丘陵の天神社磐座(いわくら)後方に玄室(棺をおさめる部屋)と羨道(地下通路)と推測される地下空間が約150m延びていることが確認された」という。どの程度信用して良いかわからない情報ではあるが、一度自分で見てみなければなるまいと思いはじめてすでに数年……そして先日とうとう、重い腰を上げて自らの足で訪れたのだった。

 南側から上る道はよく整備されており、急な坂道ではあるがそのまま上っていけば、間もなくかなり広い場所に出る。これがいわゆる「三野公園」と呼ばれている部分で、桜の名所として知られ花見のシーズンには大変賑わうらしい。ここが前方後円墳の方部と考えられる場所で、前方後円墳の方部が被葬者や先祖に対して行われる祭礼の場であると考える(これには異論もあると思うが)と、なかなか立派な舞台になるだろうと思わせる。そこからさらにそのまままっすぐ北方向に進んでいくと円部に繋がる細い道がある。この細い道をやっこらやっこら上っていくとやがて立派な石段にぶつかる。実はこの石段は麓からずっと続いているもので、上にある神社(天神社)の参道になっているのだった。石段を登っていくと立派な社に辿り着く。ここに神様が祀られているわけである。

 一般的に大きな古墳には頂部に神社がある場所が割合多い。被葬者が神として祀られるというのは、地元の有力者(つまり守、上(カミ))と神(カミ)が繋がるという点で容易に想像できることではある。それを考えると、頂部に神社を持つこの場所が前方後円墳であるというのもそれなりに説得力があるのではとも感じる。

 またこのあたりの周囲に水路が多いのもここが古墳でないかと推測させる根拠になる。古墳の周囲に濠が巡らされていることは多いが、灌漑設備を作るときに出た土を盛って、そのリーダーの事業を顕彰して作ったのが古墳と考えると、水路や濠と巨大古墳は非常に相性が良いとも言えるわけだ(もっともこれは僕の思いつきで、学術的な根拠はない)。

 現在、考古学の世界で三野公園が古墳扱いされていないのは、先述のサイトによると埴輪が出土していないせいらしいが、それだけで古墳でないと断定するのは根拠が薄弱というものである。考古学の専門家の皆さんにはしっかり調査してもらった上で判定していただきたいものである。

 で、これが前方後円墳ということになれば、大阪府堺市にある大仙陵古墳(かつては「仁徳天皇陵」と言われていたもの)を抜いて日本最大の古墳ということになるわけである。ちなみに大仙陵古墳は、現在「天皇陵」扱いで宮内庁が管轄しており、中に入ることは研究目的であっても一切許されていない。実際には、「天皇陵」に指定されている古墳のほとんどの出自がわかっていないにもかかわらずである(大仙陵古墳については仁徳天皇陵という伝承が江戸時代からあったそうだ)。そもそも立ち入り調査しなければ誰がそこに埋葬されているかすら明確にできないわけで、「天皇陵」ではないにもかかわらずありがたがられている古墳が実は方々に存在するという可能性は高いのである。

 天皇陵扱いされている大仙陵古墳などの巨大古墳は敷地内に入ってみたくても入れないが、こちらの三野公園については自由に立ち入りできる。巨大古墳の写真などを見て一度敷地内に入ってみたいものだと思っていた僕みたいな人間は、その中がどんな様子なのかを三野公園で実際に体験できるわけである。そういった考古学的な興味から三野公園に上ってみるのもありではないかと感じたのだった。

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