盗まれた神話 記・紀の秘密
古田武彦著
朝日文庫
卑弥呼以前の歴史が垣間見える
古代史に新解釈をもたらした歴史学者、古田武彦の著書で、『邪馬台国はなかった』、『失われた九州王朝』に続く書である。そのためもあり、本文中に両書に対する言及が随時出てくる。
本書は、『古事記』、『日本書紀』(「記・紀」)の解釈が中心となっており、『邪馬台国はなかった』での『魏志倭人伝』解釈同様、九州王朝説および一定のものさしを駆使して、『古事記』、『日本書紀』を解読し、その原型を探し出そうとする。
まず西暦712年に作られた『古事記』と720年に作られた『日本書紀』の特徴の分析から始まり、両書に共通する事項と『日本書紀』にしか出てこない事項について検討するところから始まる。そもそも『日本書紀』以降の六国史(要は日本の正史)では『古事記』自体存在しないことになっているため、天皇家を中心とする王朝にとって、『古事記』に記載されている歴史は、天皇家にとって不十分または不都合な歴史だったという分析から始まる。そのため、『日本書紀』にしか出てこない記事は、実は天皇家の歴史ではなく、他の書から抜き出して、それを天皇家の歴史であるかのようにつぎはぎしたのではないかと推論する。それを裏付ける記述が実際に『日本書紀』にたびたび出てくることから(「一書に曰く」と言う記述など)、この解釈は非常に説得力を持つ。
その後、その地点からさらに敷延して、「九州の王朝」(倭)が持っていた歴史書『日本旧記』からかなりの部分を盗用したのが『日本書紀』であると見なし、その中から九州王朝の足跡を辿るという方法論を取る。これにより、弥生時代の九州王朝の九州征服譚が蘇ってくる(「前つ君」という大王によるもの。『日本書紀』では継体天皇の業績になっている)。また『古事記』についても、九州王朝に先立つ出雲の王朝(大の国)の神話が盗用されているため、それを復元することで、出雲の王朝の足跡、また九州王朝との関わり(つまり「国譲り」)などの原形が見えてくるという。こういった論考を踏まえて、縄文時代から弥生時代、古墳時代までの日本列島の歴史を再現したのが本書である。その論証は、確実な裏付けがないものもあるが、推理としては全体的に的を射ており、説得力は十分にある。何はともあれ、「記・紀」の史料的性格から分析を始めるという、きわめて科学的な方法が優れている。これこそ現在の古代史学に欠けている部分で、本来であれば本書の論証に従って学校の教科書も書き直すべきだと思うが、そういう時代はいまだに来ていないし、しばらくは来そうもない。だが決してないがしろにできないインパクトを持つのが古田武彦の九州王朝説である。