今年も受験シーズンが終わり、本塾でも一段落というところです。今年は高校受験生が5人おり、それぞれで志望校が違っていたため(特に私立高校)こちらも対応でてんてこ舞いといった様相でしたが、結果的に全員第一志望校に合格できて安堵しました。私自身、高校受験がそれほど厳しいとは思っていなかったのですが、近年は県立高校も学校によっては驚くような高い倍率になっていて、そう安閑としていられない状況であることを改めて認識させられました。

 特に今年は、ある生徒の受験高校が1.4倍を超えており(合格する可能性が高いとは思っていましたが)本番で失敗ということも十分考えられるため、本人以上にこちらが緊張するような状況でした。そのため、合格を知らされたときはひときわ安堵した次第です。

 以前も書きましたが、全員自分自身で志望校を選び、自分で受験のプランを立てた上でしっかり目標を達成できたわけで、おそらく本人たちにとっても大きな自信になったことでしょう。ひとまず良かった。

 もちろん失敗に終わったとしてもその経験を糧にすれば、今後大きな財産になることは間違いありません。そういう類のサポートを行うのも大人側の役割だと思っています。そういうことを考えると、あちこちの塾に「○○高校合格」みたいなステッカーが張り出されるのを見るにつけても、そういうことじゃないんじゃないかと感じてしまいます。そもそも、高校受験については大多数の生徒が合格する構造になっており、しかも抱えている生徒が多ければ多いほど合格者数が多くなるわけで、それを考えると高校合格の実績を声高に叫ぶことにはあまり意味がないと思うのです。

 先ほど「それぞれで志望校が違っていたためこちらも対応でてんてこ舞い」と書きましたが、これは、昨年から、授業で過去に出題された問題(いわゆる「過去問」)に取り組んでいたためです。具体的には、過去問をプリントして生徒に次回までやって来てもらい、それを題材にして授業を行うわけですが、生徒ごとに受験校が違うということであれば、こちらも同じように時間をかけてそれぞれの入試問題を解いておかなければならないため、下手をすると週に4種類の問題を(しかも2科目以上ずつ)解かなければならなくなるということで、それにかなり時間を取られることになるわけです。さすがに中学生の英語で時間がかかることはそれほどありません(出題の意図がわからず考え込んでしまうということはあります)が、数学については中には難問もあり、こういうのになるとこちらもかなり時間をかけなければなかなか解くことができません。入試数学の問題には脳トレやパズルの類になっているものも結構あり、もちろん解いていればそれなりに楽しめますが、やはりかなり時間がかかることもあります。

 そういうわけで2月から3月にかけては私もかなり消耗してしまいました。身心とも少しずつ落ち着いてきましたが、これは受験を経験したそれぞれの生徒にとっても同じでしょう。彼らには有意義な高校生活を送ってもらいたいと心から願います。

エッセイ
24年の受験の総括
エッセイ
24年高校受験中間報告
オピニオン
受験を楽しむ –または受験の効用について–