これまで何度か昭和の中学英語教科書の素材を紹介してきましたが、平成版の教科書を読んでいたところなかなか面白い教材が見つかったため、ここで紹介しようと思います。
この素材は、平成四年発行の開隆堂『Sunshine English Cournse 3』のProgram 9「Something for Joey」というタイトルで、この教科書の最後の章に当たり、読み物という位置付けになっているようです。
タイトルや挿絵で想像がつく人もいるかも知れませんが、元ネタは1977年に製作された『ジョーイ』というテレビ映画です。当時結構ヒットした作品で、僕も高校生の頃、テレビの名画劇場で見て、うかつにも涙を流してしまったという映画です。映画やドラマで涙を流したのはこれが初めてだったというような感動的な作品なんですが、現在DVDもBluerayも発売されていません。ただYouTubeにVHSからコピーしたであろうと思われる作品がアップされていますので、見ることはできます(日本語字幕付き、一部欠損箇所あり)。
大変興味深い作品であり、しかも原作で使われていたセリフがそのまま引用されているなど、教科書に載せる翻案としてはかなりグレードが高い方だと思います。イラストも味があってよろしい。
今回も対訳を付けました(対訳は、自然な日本語にするため、かなり意訳しています)。中3の素材としてはやや難しいかも知れませんが、英語中級者の音読の素材としては非常に優れていると思われます。(内容を理解した上で)何度も口に出して読めば、英語読解力を向上させることができます。
PROGRAM 9
Something for Joey
8歳の少年ジョーイは、兄のジョンが誇りでした。兄はペンシルバニア州立大学のフットボール選手。週末に家族そろって兄の試合を見にいくことが、ジョーイのなによりの楽しみでした。
実は、5年前、医者はジョーイが白血病であることを両親に告げて決断を求めていました。ひとつは、苦しい治療をしないでそのままにしておくこと。そしてもうひとつは、どれほどひきのばせるかわからないが、苦痛を伴う新しい治療法を試みること。そして両親は後者を選びました。
プログラム9
One day, on the way home from a football game, Joey became very sick and went into a coma. "There is little chance of recovery. Why don’t you put him in a home?" the doctor said. But no one in Joey’s family agreed. They moved his bed to the dining room and took care of him by turns.
Several months passed. Joey was still unconscious, but they talked to him as often as possible.
One evening, John came home from college and was talking to Joey. Joey’s fingers moved a little!
ある日、フットボールの試合の帰りに、ジョーイの病気が重くなり、昏睡状態になった。
「回復の見込みはほとんどありません。施設に入れたらいかがでしょう」と主治医は言った。だが、家族の誰もそれに同意しなかった。ジョーイのベッドをダイニングの近くに移動し、家族が交代でジョーイの世話をした。
数カ月が過ぎた。ジョーイには依然として意識がなかったが、家族はできる限りジョーイに話しかけるようにした。
ある夜、ジョンが大学から家に戻り、ジョーイに話しかけていた。そのときジョーイの指が少し動いた!
It was a slow recovery, but Joey started to move his body. Then he began to eat and to talk. In just a few months, Joey stood on his feet and began walking. His doctors were more surprised than anyone else.
Joey now looked well again. He was often seen in the locker room of John’s team, and was popular among his teammates. But he still had to go to the hospital very often to have painful treatment.
回復はゆっくりだったが、ジョーイは身体を動かし始めた。やがて彼は、食事し始め、話し始めるようになった。わずか数カ月で、ジョーイは自分の足で立ち、歩き始めるようになった。誰よりも主治医が驚いた。
ジョーイは再び元気になった。彼は、ジョンのチームのロッカールームによく顔を見せるようになり、チームメートの間でも人気者になった。だがジョーイは相変わらず、痛みが伴う治療のためにたびたび病院に通わなければならなかった。
A few days before Joey's eleventh birthday, John asked him about his birthday present. Joey said, "I’d like three touchdowns. No, four."
John was stunned. "I’ve never scored four touchdowns in one game in my life! And not many other people have, either."
Joey looked up at him with absolute trust. "You asked me."
"I know, but … O.K., I'll try." John sighed.
"Thanks, John." Joey smiled.
Four touchdowns in one game seemed impossible to John. But he tried just for Joey. And he did it!
あと何日かでジョーイの11回目の誕生日という日、ジョンはジョーイに誕生日プレゼントに何が欲しいか尋ねた。ジョーイは言った。「タッチダウン3本、いや4本欲しいな」
ジョンは驚いた。「今まで1試合でタッチダウン4本なんて取ったことないよ。それにそんな選手めったにいないよ」
ジョーイはジョンを見上げた。ジョンを100%信頼していた。「ジョンが僕に訊ねたんじゃないか」
「そうだけど……いいよ、やってみる」ジョンはため息をついた。
「ありがとう、ジョン」ジョーイは微笑んだ。
1試合で4タッチダウンなんてジョンには不可能に思えた。だが、彼はジョーイのために全力を尽くした。そして彼はやってのけたのだ!
1973 was a big year for John. He was awarded the Heisman Trophy. His whole family was invited to the award party in New York. Joey was not feeling well that day, but how could he miss it?
It was a great party with nearly 4,000 people. Vice-president Ford, movie stars, and many other famous people were among the guests.
After the dinner, they listened to a number of speeches which all praised John as the best player of the year. Finally it was John’s turn to speak.
1973年はジョンにとって大きな年になった。ハイズマン賞を受賞したのだった。ニューヨークで開かれた受賞パーティには、ジョンの家族全員が招待された。ジョーイはその日体調が良くなかったが、欠席することなど考えられなかった。
それは、4,000人近くの人が参加した大きなパーティだった。ゲストの中には、フォード副大統領をはじめ、映画スターや著名な人々も大勢いた。
皆で食事をした後、多くの人々がスピーチをし、誰もがジョンをその年の最高の選手だとほめ讃えた。そして最後に、ジョンがスピーチをする番になった。
He thanked his coaches and his teammates for their help. Then he introduced his family. He talked about Joey.
"… The youngest member of our family is Joey. He is ill … He has leukemia "John paused. His eyes were full of tears. "People say I’ve shown courage on the football field, but it’s only on the field, and only in the fall. Joey lives with pain all the time. He is braver than me. I would like to give this trophy to my brother Joey …."
* * *
Joey died three years later in April, 1976. John was at his side.
ジョンはコーチやチームメートへの感謝の言葉を述べた。その後、家族を紹介し、そしてジョーイについて話した。
「…… 家族で一番小さいのはジョーイです。彼は病気で……白血病なんです」ジョンは、しばらく黙った。彼の目は涙で溢れていた。「僕がフットボール場で勇気を示したと皆さんは言ってくれます。でもそれはフィールドだけの話です。しかも秋だけです。ジョーイはずっと痛みとともに生きています。彼は僕より勇敢なんです。この賞は弟のジョーイにこそ贈りたいと思います……」
* * *
3年後の1976年4月、ジョーイは死んだ。そのとき、ジョンは彼のそばについていた。
YouTube:「Something for Joey ジョーイ 1977」より