子どもたちに民主主義を教えよう
対立から合意を導く力を育む

工藤勇一、苫野一徳著
あさま社

最前線での実践例が特に興味を呼ぶ

 この本も、『学校ってなんだ!』と同様、『学校の「当たり前」をやめた。』の工藤勇一の対談本。対談相手は教育学者の苫野一徳という人。

 序盤は、工藤の方が、苫野に教育に関わる哲学の話を伺うというスタンスで、観念的な話ばかりになって面白味がなかったが、苫野の観念的な話よりも工藤の実体験の方がはるかに内容が濃く面白いせいかわからないが、次第に工藤のペースに変わっていく。特に、どのような過程で麹町中学校の「改革」が行われていったかとかどのような反発があってどのように解消していったかがかなり具体的に紹介されていることから、内容は前著以上に詳細である。そのため後半部分は特に面白く、内容が充実していた。

 工藤が本書で主張するのは、「誰一人置き去りにしない」ことを最終的な目標にした上で合意形成を図ることを子どもに教えるべきだということで、工藤が麹町中学校などで実践してきたことも本質はこれだというのである。要するに、少数派を切り捨てることなく誰もが納得する結論が出るまで話し合った上で結論を導き出そうという手法で、これこそが「民主主義」と呼べるものではないかという考え方なのである。これは現実的に実現不可能なように思えることもあり、実際、学校を含むほとんどの現場では、多数決で物事を決定するのがほとんどだが、多数決は早い話が多数派が物事を決定してしまうことであり、少数派は切り捨てられることになるのが一般的である。少数派は、議案に対して反対であっても、決まったことだから従えと無理やり強制されるわけで、これは一種の全体主義である。少数派に入ることが多い僕なども、そのせいでいつも不快な目に遭ってきたため、工藤が示す「誰一人置き去りにしない」という目標は大変魅力的に映る。

 このような目標を共通の合意としてすべての構成員が受け入れた上で、意見が異なる物事について話し合っていこうというのが、工藤の方法論である。意見が異なれば当然対立も起こるが、その際に立ち返るのが大目標である「誰一人置き去りにしない」であり、本当に誰も置き去りにしていないかを検討することで、細かい対立は解消されることになるという。また、コミュニティ内(工藤の場合は学校現場)での対立、反発の解消方法も彼の経験に基づいて語られており、これが非常にためになる。自分が正義であることを主張し相手の誤りを指摘するようではいくら正論であっても反発と敵対を大きくするだけという話は目からウロコである。当事者たちと話し合いを重ねた上で意識改革を促し、彼らが自ら考えを整理するのを待つことで、合意形成が可能になるという具体的な方法論が語られており、これは多くの人々の参考になるのではないだろうか。

 工藤の学校現場で、子どもたちにこういうやり方を具体的に教えていったことから、問題を抱えていた学校が(時間はかかりはしたが)徐々に主体的に動く人々で構成される集団に変わっていく様子も工藤によって語られている。習慣だけで行われていることを理不尽に感じたら、その根本まで立ち返って「それが本当に必要か、なぜ存在しているのか」を考え、その上でどうするか決めるようにすることを子どもに教えるというのも、本質をついていると思う。要するに彼の目標は、自律できる人間を育てるということにあるのだということで、工藤の教育方針や考え方に常に一貫性があるということがよくわかる。そのために彼の論には大きな説得力が出てくる。

 本書の後半では、特に麹町中学校での実践例が多数紹介されるため、工藤の他の書を読んでいても参考になることは多い。前半、苫野の哲学論議が展開されそれを工藤が拝聴するというような流れで、かなり退屈したが、後半の工藤の話で内容が充実してきた。やはりしっかりした考え方を確立した上で、最前線で手探りで実践してきた人には適わない。

-教育-
本の紹介『学校の「当たり前」をやめた。』
-教育-
本の紹介『学校ってなんだ!』
-教育-
本の紹介『自律と尊重を育む学校』
-教育-
本の紹介『「みんなの学校」がおしえてくれたこと』
-マンガ-
本の紹介『蛍雪時代 – ボクの中学生日記 (2)〜(5)』
-社会-
本の紹介『学校って何だろう』