ドリトル先生アフリカゆき
ヒュー・ロフティング著、井伏鱒二訳
岩波少年文庫
出版人の矜持が感じられる本
動物と話ができる医者、ドリトル先生の物語のシリーズ第1作である。
原書を読んで面白いと思った石井桃子が、自ら下訳したものを井伏鱒二のところに持ち込んでリライトさせ、石井桃子らが設立した白林少年館がそれを1941年に刊行したのが最初ということである。白林少年館はこの一冊を刊行した後、時節柄もあって倒産し、戦後、1951年に岩波書店が、岩波少年文庫としてこれを刊行したものが本書の原形である。その後、人種差別的な表現が問題になり、出版を見合わせるなどの運動が世界中で起こったらしいが、岩波書店は、こういった差別意識は時代背景によるものであり、原作を今の感覚で勝手に改竄することに反対の姿勢を示し、出版を継続した。これについては、本書の最後に岩波による宣言文が掲載されていて、大変興味深い。
本書については、「ドリトル先生アフリカゆき」の本編に加え、上記の岩波の宣言文、それから井伏鱒二の「あとがき」、さらには石井桃子の解説が加えられていて、全体的に非常に丁寧に作られた本という印象が残る。また石井桃子は、シリーズ全12作についてもあらすじを掲載して紹介している。そのため「ドリトル先生」の全体の流れや、関連する問題についてかなり把握できるようになっている。石井桃子と岩波書店のこの作品に対する思い入れが伝わってくるような本である。
本編の「ドリトル先生アフリカゆき」については、あくまで童話であり、結構ご都合主義的にストーリーが展開するため、僕自身は大して面白いとは思わなかったが、スリルやサスペンスの要素を盛り込んだサクセスストーリーで、それなりのエンタテインメントにはなっている。
なお「ドリトル先生」という表記は、原文では「Dr. Dolittle」となっており、Dolittleは「ほとんどなにもしない」という意味なんで「グウタラ先生」みたいなニュアンスである。井伏鱒二が「やぶ先生」にするのもいかがなものかということであえて「ドリトル先生」とし、それを石井桃子が気に入ったため、そのまま使ったというようなことが石井の解説に書かれている。
本書が出版されてからすでに半世紀以上が経過しているわけだが、岩波書店はシリーズ全12巻(岩波少年文庫では13冊)をすべていまだに刊行し続けており、その行動には、「差別表現に対する宣言文」に見られるように出版人としての責任感と思想が窺われる。他の出版社も、このような出版人としての矜持を持って、良い仕事をしてほしいものである。
なお、井伏鱒二の文章は、今となってはいささか古くささが漂う。新訳版も別の出版社から出ているようなので、気になる人はそちらに当たればよろしい。