にごりえ・たけくらべ
樋口一葉著
岩波文庫
岩波文庫の傑作の1つ
樋口一葉の代表作の『にごりえ』と『たけくらべ』が岩波文庫で一冊にまとめられている。一葉の著作はどれも短編であるため、出版されるときは一般的におおむね5、6本の作品をまとめた短編集になるが、岩波文庫は2作品だけを100ページにまとめるというかなり思い切った構成にしている。しかしこの短さ・薄さはじっくり読むには実は適切なサイズで、一葉の作品には合っているのではないかと読んでみて感じた。一葉の作品は、どれも擬古文であり、現代人が読むにはある程度時間がかかるし、時間をかけて読むべき作品である。時間をかけて読んでこそその味がわかるというもので、今回はそれをよく実感できた。
多くの消費者が、余計なものでもたくさん盛り込まれていることで得をしたような気分になるのが常であるため、こういう薄めの切り取り方、売り方は多分に冒険的で、そういう意味では岩波の大英断と言えなくもない。あるいは現在のように古典が無料で読める時代だからこその英断かも知れないが、読ませ方までパッケージしたかのような岩波文庫には、新しい時代の出版界のあり方みたいなものまでが窺われる。また『にごりえ』と『たけくらべ』のそれぞれの扉ページに一葉の筆跡でタイトルが書かれているのも、すばらしい配慮である。岩波文庫には、最近関心させられることがときどきあるが(『富嶽百景・走れメロス 他八篇』、『硝子戸の中』の項を参照)、この本も秀逸である。
さて内容であるが、高校生の時分に新潮文庫版を読んだときはわかったようなわからないような状態であったが、今では古文に慣れているということもあり、存分に楽しめ、文章の流麗さも味わい尽くすことができた。特に『にごりえ』は、前に映画でも見ていて内容をかなり憶えていたこともあり、なるほどと感じることも多かった。それになんと言っても最後の段での唐突な落とし方が実に良い。短編の鑑みたいな構成である。これについては『たけくらべ』にも共通しており、一葉の名人芸と言えるかも知れない。ストーリーは明治の下層社会を描いたようなリアリズム(自然主義)に則ったもので、特に『にごりえ』は気が滅入ってしまうような暗さが漂う。しかし1890年代の日本で、これほどのリアリズムの作品が、これだけの流麗な文体で描かれたことは今振り返って見ると衝撃的である。日本の最初の自然主義文学として扱うべきではないかとも思うんだが、なぜか日本の自然主義文学というと田山花袋らの私小説風の文学になってしまうのだ。合点が行かないところである。
ともかく、『にごりえ』も『たけくらべ』も、自然主義的な側面に加え、特異な叙情性、美しい文体が目を引く傑作である。ただどちらも、句点があまりなく、本来であれば句点で区切るべき箇所を読点で延々と続けているためにかなり読みにくいのは確かで、通常の本の読み方だと続かないのではないかと感じる。やはりじっくり読まなければその良さはわかりにくいかも知れない。そういう点で、この岩波文庫のように他をすっぱり切り落として100ページにまとめたという潔さには先見の明を感じる。