大江戸えねるぎー事情

石川英輔著
講談社文庫

江戸に対する歴史観を
大きく変革することになった画期的な本

 大江戸ブームの火付け役である石川英輔の著書。これは『大江戸事情』シリーズの最初の本で、江戸社会が再評価されるきっかけになった本である。元々は、原子力文化財団のPR誌『原子力文化』に2年間連載したエッセイをまとめたものである。

 「あかり」、「水」、「涼む」などテーマごとに項がまとめられ、全部で24の項目で構成されている。原子力財団の機関誌に、このようなエコロジカルなテーマでエッセイを載せるというのもすごいが、内容も、原子力などのエネルギーに対して批判的な目が向けられている点でかなりユニーク。『原子力文化』はよくこのエッセイを載せたものだと思う。

 エネルギー団体の雑誌ということもあるのだろうが、どの項でも、江戸時代に使われたいろいろなものや産業にどのくらいのエネルギーが投入されており、それが現代と比べてどうなのかということが紹介される。もっとも江戸時代の産業は、化石燃料をほとんど使わず、海外からの輸入品も生活の中でほとんど使っていないため、すべて国内の植物由来のエネルギーである。つまり元をただせば、その年またはその前年、あるいは数年前までの太陽エネルギーしか使っていないため、現代の産業と比べるとほとんどゼロに近い。使われているエネルギーのほとんどは人の労働で、これは現代の産業のエネルギーを計算する際は、あまりに小さいため無視される要素なのである。そういうわけで、エネルギーの観点から考えると、江戸の産業は限りなくエネルギーゼロに近く、本来まったく検討対象にすらならない。だからエネルギーの計算については、本書でかなり丁寧に行われているが、江戸の消費エネルギーについては取って付けたようなものになっている(現代の消費エネルギーについてはきちんと計算されていて、それと比較されている)。だが、それに付随して紹介される江戸の文物、産業が実に面白いもので、大変興味深い。それが本書の魅力である。

 僕は30年ほど前にこの本を読んで、それ以来、著者の『大江戸』シリーズは大体読んできたが(小説は除く)、当時のインパクトは今でも忘れない。それまで江戸時代は、庶民が武士に苦しめられていた暗黒時代と捉えられていたが、実体は必ずしもそうではないということがさまざまな資料を根拠に紹介されていく。その結果、江戸の人々は、相当豊かな生活を送り満足度は高かったという結論を導く。もちろん現代の生活に比べると不便だが、江戸の人々は現代の生活を知らないわけで、彼らが考える「便利」な生活に、実は充足していたのではないかという主張である。僕自身、それまで江戸暗黒史観にずっぽり嵌まっていたため、こういう主張が目からウロコだったのである。

 その後、この本の影響かどうかわからないが、江戸が必ずしも悪い時代じゃないんじゃないかという考え方が世間に広まってきた。特にエコロジーの観点から、完全リサイクル社会だった江戸が再評価されるということにもなり、現在では、江戸が暗黒時代だとする考え方はむしろ少数派になったのではないかと思う。前に司馬遼太郎の小説を読んでいたら、吉田松陰が、庶民が幕藩体制で苦しめられている姿を見て倒幕を思い立ったみたいな記述があり、苦笑したことがある。今となってはこういう歴史観は化石のようにも感じるが、この本で示された考え方というのは1990年代当時斬新で、その後の歴史観(江戸時代観)に大きな影響を及ぼしたのではないかと僕は思う。

 ただ今読むと、それほどの目新しさは感じず、やや控え目な主張に見えなくもないため、この30年で江戸時代観は大きく進歩(!)したのかも知れない。

 なお、著者はこの後、江戸時代の技術について『大江戸テクノロジー事情』、リサイクルの状況について『大江戸リサイクル事情』で触れるなど、次々に江戸のリアルな姿を報告していく。著者との対談という形で本書に登場する、法政大学の田中優子教授も、たびたびマスコミに登場するようになるなど、江戸の事情が社会で広く知られるようになっていくんだが、その第一歩になったのが本書ではないかと僕は思っているのである。いずれにしても、講談社のこの『大江戸事情』シリーズは何度でも読み返すに値する本であると思う。

-日本史-
本の紹介 – 石川英輔の本、5冊
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本の紹介『大江戸テクノロジー事情』
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