僕に方程式を教えてください
少年院の数学教室
高橋一雄、瀬山士郎、村尾博司著
集英社新書
一部の少年院では普通の中学高校よりも
レベルの高い教育が行われている
少年院というと「未成年者用の刑務所」というイメージで、不良少年が「俺は少年院帰りだ」などと言ってすごむという話をドラマや映画で見聞きしたりしていたが、実は少年院はあくまで矯正施設であり、少年たちが退院後にしっかり社会復帰できるよう(同時にこれまでの非行を反省できるよう)指導する場所である。
こういう制度がしっかり機能していれば非常に素晴らしいシステムであるんだが、実際は100%の少年たちが退院後実社会でうまくやっていけるわけではない。院内では職業訓練も施すが、やはり学力不足が社会復帰の足枷になることが多く、少年たちの社会復帰失敗の大きな原因の一つになっているらしいのだ。
そこで、こういった少年たちに実社会と同じような教育を施し、高等学校卒業程度認定試験(高認)に合格させて、大学入学への道筋を付けさせようという方策が一部の少年院で実施されるようになった。そこに関わったのが著者の高橋一雄と瀬山士郎で、高橋氏は塾や予備校で数学を教える教育者、瀬山氏は大学の教育学部で教師志望者に数学教育を教える数学者である。
彼らがどのような動機、方法で少年院で数学を教えるようになったか、少年たちにどのような変化が起きたか、少年たちの高認試験の結果はどうなっているかなどが本書で語られる。そもそも両著者の動機が非常に純粋で、そのために授業研究にも大変熱が入っていることが窺われる。しかも少年院の場合一般の学校と異なり、少年たちが一律に入って一律に出ていくわけではないため(こういう状況を「さみだれ入院」というらしい)、そういう点でも難しさがある。そのために、課程を方程式に絞るなど、通常の学校と異なるカリキュラムが取られる。さらには、今まで家族や学校から疎んじられてきた少年たちに対し、「わからないことや間違いは恥ではない」ということをまず徹底して教え込む。少年たちはそういう方針に最初は戸惑うが、やがて間違いや質問、議論を厭わなくなり、それに伴って教科に対する興味が涌いてきて、能力が大きく向上することにつながるという。中には大きく飛躍する生徒も現れる。(多くの教育関係者が視察する)研究授業の際に、二次方程式の解の公式を導くという難易度の高い作業を生徒にやらせた例が紹介されるが、黒板の前で解かせたところ途中で止まってしまい、17分間(黒板の前で)そのまま熟考してから結局公式を導くことができたシーンが紹介されており、感動を誘う。
数学を媒介にして論理的な思考法を学び、さらに今までまったくわからなかった世界を自ら理解していくことによって自分の中で自信を付けていくことが彼らの成長の中でいかに重要か、そして数学が彼らの成長においていかに大きな役割を果たせるかということが2人の数学専門家によって語られていき、少年院と関わりのない一般的な読者にとっても得るところが非常に大きい。ここでは、ともすれば生きていく上で何の役にも立たないと言われる数学が、実は人間の成長の上で重要な働きをし得ることが示されるのである。そしてそれを少年院という場で実践し、真摯にそのプロジェクトに取り組む彼らの活動は、大変感動的に映る。
最後の章を担当している村尾博司は、少年院などで法務教官を務めた人で、高橋氏、瀬山氏と連携して、少年院教育を充実させた人である。この人も当事者の一人であり、それぞれの視点から語られる少年院教育の理想と実情は非常に印象的である。
このように、内容は非常に充実しており、特に数学に対する新しい視点が盛り込まれている点が大きな評価に値する。ここで紹介されているようなカリキュラム、というか指導方法は、最先端の教育と言っても過言でないような非常に高いレベルのもので、一般の中学高校でも取り入れてほしいとも感じる。少年院の方が普通の中高より高いレベルというのも逆説的で悲劇的だが、逆にこういう教育を一般の学校で取り入れれば、社会や学校で阻害され非行に走ってしまう少年を減らすことに繋がるかも知れない。社会や教育の歪みが少年たちに投影されて、それが少年の生活を歪めてしまっているという現実は直視しなければならないと思う。