明治日本散策
エミール・ギメ著、岡村嘉子訳
角川ソフィア文庫
「京都編」がないのが実に惜しい
日本の宗教調査をするために、明治9年に日本を訪れたエミール・ギメの日本滞在記。原書は『日本散策 東京・日光』で、本書はその翻訳である。
ギメは都合80日間日本に滞在しており、関東に1カ月半滞在した後、東海道を通って京都に赴き、そこで半月滞在した後、神戸経由で帰国している。その中の関東編が本書の内容に相当し、伊勢神宮や京都での滞在については記述が残っていない。ギメ自身は『日本散策』の続編をさらに書き続ける予定だったらしいが、結局出版は実現していない。
本書では、いくつかの土地(寺社や飲食店)の訪問印象記に加えて、それぞれの場所に伝わる伝説などもあわせて紹介しており、まさに「日本散策」(原題も『Promenades Japonaises』)といった趣になっている。ギメに同行し、ともに日本中を旅した画家のフェリックス・レガメのデッサンや油彩画も本文とあわせて掲載されており、そちらも味わい深い。
記述は全編、日本の風物に対する絶賛ばかりで、ギメ自身の当時の日本に対する思い入れが伝わってくる。同時に、江戸の風物を残した風景も活写されており、今読むと大変興味深い内容になっている。
本書の中のハイライトと言って良いのは、画家の河鍋暁斎との邂逅で、ギメとレガメが暁斎の家を訪問したくだりである。当時政府から不当な扱いを受けていた(繰り返し逮捕されていたらしい)暁斎であるが、ギメやレガメの訪問をいたく喜んだようである。レガメが暁斎をスケッチして良いかと訊ねたところ快諾し、その結果、レガメによって暁斎像が描かれることになった。一方の暁斎も当初はモデルをやっていたが、やがて自身で筆を取りレガメの像を描いてしまった。かくして日仏デッサン合戦が行われることになったというような話である。暁斎は、ギメから依頼を受けた仏画も描き、後日ギメのホテルまで持参したらしい。暁斎の人となりが見事に描かれ、本書の白眉と言えるものになっている。
京都では、本願寺で日本の宗教家(島地黙雷、赤松連城、渥美契縁)と宗教問答を行ったりしているため、京都での様子が出版され今に残っていたらさぞかし面白かっただろうと思うが、いかんせん(ギメの観点からの)報告は残されていない。特にギメは、京都でいろいろな仏像を入手している他、東寺の仏像曼荼羅の再現製作を京都の職人に依頼したりしているため、そのあたりの過程が紹介されていたら一層面白かったことが想像できるが、ギメによる記述は残っていないのである。だが、ギメの日記や資料などが残っていることから、ギメの足跡を辿ることはできるらしい。尾本圭子という人(ギメ美術館に勤務したことがあるらしい)が、本書の解説でそのあたりの事情について記しているため、その辺の事情は窺われる。またギメやレガメのその後の経歴についても紹介がある。レガメは後にもう一度来日しているが、ギメは再来日できていない(来日の意志はあったようだが)。
結果的に本書から窺われるのは、タイトル通り、明治初期の東京と日光の様子のみで、やはり物足りなさはあるが、しかしそれでも江戸情緒を垣間見られるような楽しみはある。それはギメやレガメが積極的に日本の文化に触れようとし、そのドキュメントを残していたためで、おかげで現代人も(当時のフランス人読者と同様)江戸の雰囲気を堪能することができるのである。ギメとレガメがやって来た時期は、まさに江戸的なものが少しずつ失われ始めた時期で、ベストのタイミングだったとも言えるのではないかと思う。レガメも「このすばらしい芸術的で詩情豊かな、優しさに満ちたこの世界の終焉を目の当たりにしている。それは西洋文明の嘆かわしきガラクタの中にうずもれようとしている」と書き残しているらしい(本書の解説より)。それだけに京都編がないのがことさらに惜しいと感じるのである。