ワーグマン日本素描集
清水勲編
岩波文庫
江戸・明治の事件、風俗を今に伝える資料
ビゴー(『ビゴーが見た日本人』参照)より前(1861年)に来日し、日本の幕末、明治事情を絵で英国に発信し続けたチャールズ・ワーグマンのスケッチ集。
このワーグマン、当初は『The Illustrated London News』という雑誌に寄稿していたんだが、その後自身で『ジャパン・パンチ』という雑誌を日本で創刊し、在日外国人や在中国外国人向けに日本の事情を紹介していく。幕末から日本にとどまっていたため、生麦事件や戊辰戦争の様子まで絵画やイラストで活写しており、当時の状況を生々しく伝えている。そもそもこのワーグマン、1961年の東禅寺襲撃事件に立ち会った、というか襲われた当事者だった(何とか縁の下に逃れて命拾いした)というんだからその生々しさといったらただものではないだろう。
また同じく貴重なのが当時の日本国内の風俗などの描写で、この時代写真がまだあまり普及していなかったため、当時の風俗をリアルに表す素材としても資料価値が非常に高い。
このワーグマンだが、五姓田義松、高橋由一らが弟子入りし、小林清親も弟子入り志願した(靴で蹴られて弟子入りを断念)というから、日本の近代美術の祖と言っても良いほどである。その割にはこの本で紹介されている絵は(絵画として見れば)どれも平凡で、「日本スケッチ帳」で描かれているスケッチもあまりうまいものではない。ジョルジュ・ビゴーの方がはるかにうまいという印象である。
ただし、ワーグマンが始めた『ジャパン・パンチ』は、カートゥーンと呼ばれる政治風刺漫画を日本に定着させることになったわけ(これがいわゆるポンチ絵)で、日本のマンガの祖と言うこともできる。実際、『日本まんが 第壱巻』では、本書の編者である清水勲がそのように表現していた。なお、『ジャパン・パンチ』は1887年に廃刊になり、それ以降はビゴーが『トバエ』などでその役割を引き継ぐことになる。ワーグマン自身はずっと日本にとどまり続け、1891年に横浜で死去することになる。
本書では、そのワーグマンの作品を「日本スケッチ帳」、「ジャパン・パンチ」、「特派美術通信員の目」の3部で紹介していき、その後に、編者が著した「ワーグマン小伝」、「ワーグマンがもたらしたもの」、「ワーグマン年譜」という項が続く。ワーグマンの一連の仕事を俯瞰できるようになっており、岩波文庫らしい真摯な作りになっている。作品自体にはあまり面白味がないものの、江戸末期から明治初期の風俗を今に伝える資料として非常に有用な素材と言うことができる。