ぼくは日本兵だった

J・B・ハリス著
旺文社

Harris Sensei's Surprising Autobiography
(ハリス先生の意外な半生記)

 昭和から平成にかけて『百万人の英語』や『大学受験ラジオ講座』で英語の講師を務めていたJ・B・ハリス氏の半生記。特に第二次世界大戦時が話の中心になる。

 ジャーナリストだった英国人の父と日本人の母の間に生まれて、幼少期を横浜で(関東大震災も経験)、少年期をカリフォルニアで過ごしたハリス少年だが、父の死去が契機となって、母の母国である日本に母と二人で戻ってくる。日本ではフランス人経営のミッション系スクールに入学して、ヨーロッパ型の学校教育を受け続けていたため、当時の日本の学校で行われていた国家神道中心の教育は一切受けていない。学校を出た後は(家に働き手がいないために)すぐに働く必要があったことから『ジャパン・アドバタイザー』(後に『ジャパン・タイムズ』に吸収される報道機関)に入社して記者になる。なお、日本に戻ってくるとき、国籍を英国から日本に変えたため、日本名は平柳秀夫となっていた。ただし日本の学校に行っていなかったこともあり、日本語の会話はともかく、読み書きは(特に漢字が)苦手だったと言う。

 そんなハリス氏の人生を大きく変えたのが日米開戦で、それまでもたびたびスパイ容疑で逮捕されたりはしていたが、いよいよ戦争が始まると、国籍が日本になっていたことから、開戦後すぐに徴兵されることになる。こうして平柳秀夫二等兵が誕生したのだった。

 当時の日本式の教育を受けていない上見た目が外国人風だった(そのため奇異の目で見られる)こともあり、軍隊生活は辛いことが多かったようだ。本書ではそれについて詳細に紹介しているが、同時にハリス氏の「軍隊生活」は、現代の日本人が帝国陸軍という環境に放り込まれた状況とおそらくよく似ており、その不自由さ、理不尽さは、今我々が感じるところとほぼ同じだろうと思う。くだらない奴が威張って理不尽な暴力をふるい、各個人に理不尽な行動を強制する環境の中に閉じ込められるわけだ。そしてその環境は、1945年の敗戦まで続くことになる。敗戦は中国大陸で迎えたが、敗戦後も、帝国陸軍はしばらくの間中国国民党軍の指揮下に入っていたため、敗戦後数カ月間は大陸にとどまることになった。

 軍人時代は、理不尽な環境の中でつらい思いをしていたが、中には真っ当な人々もいて、そういう人々との交流が著者にとって心安まる瞬間だったという。特に敗戦後は、中国国民党の有力者の家で英語の家庭教師をすることになって、その有力者から優遇されたりもしている。

 日本への帰国を果たしたのは46年5月である。帰国後は母と再会し、さらには以前の勤務先に行ってかつての同僚らと再会を果たし、やがてそのつてを頼って再びジャーナリストの道に戻る。本書で触れられるのはそのあたりまでで、その後のハリス氏の人生については、あまり触れられていない。要するに本書の中心は、タイトル通り、ハリス氏の軍隊時代ということになるのだが、その後の(旺文社などの)ラジオ講師時代についても非常に興味が湧くところで、そのあたりにも触れてほしかったと思う。だがハリス氏、すでに死去しているため、その頃の詳細については、今後詳らかにされるチャンスがきわめて少ない。その点については返す返すも残念である。そうは言っても、帝国陸軍時代の経験は非常に特異で、本書の内容だけでも読み応えは十分ある。

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