失われた九州王朝
古田武彦著
朝日文庫
古代史の概念がガラッと変わった
古代史に新解釈をもたらした歴史学者、古田武彦の著書。
古代の日本には倭という国があったが、古田によると、それは大和朝廷ではなく、九州王朝だったという。つまり北部九州に本拠を置く王朝であり、大和朝廷とその流れを汲む奈良朝廷は、九州王朝が(白村江の戦いの大打撃により)滅びた後、それに代わって日本列島の主になったとする。いわゆる「九州王朝説」である。
現在学校で教えられている古代史、つまり現在の標準的な日本の古代史と真っ向からぶつかる新説であるため、現在の古代史学界ではまったく受け入れられておらず無視されている。言ってみれば異端の説であるが、しかし古田が展開する議論はいちいちもっともで、読み進めると、その壮大な構想に度肝を抜かれてしまう。
実際、古田武彦の古代史デビュー作である『「邪馬台国」はなかった』は、発表当初、大きなセンセーションを起こした。この本では、「邪馬台国」という言葉の出典であるはずの「魏志倭人伝」(『三国志』)には、実際のところ「邪馬台国」という言葉は出てこず、表記されているのは「邪馬壹国(「やまいこく」または「やまいちこく」)」であり、江戸明治の古代史学者が、「ヤマト」に比定するために「邪馬壹国」を「邪馬臺国の誤り」と(勝手に)認定し、さらにそれが「邪馬台国」に置き換えられるなど、恣意的な解釈が行われてきたと指摘したのであった。その上で「魏志倭人伝」などの中国側史料を(恣意的な変更を加えず)じっくり読み解けば、北部九州に倭国があったことがわかるとしたのである。当初は一部の歴史学者もこの説に対して反論を試みたりしたが、そのうち、(自分たちとあまりにも違った考え方であるせいか)まったく無視するという態度を取るようになった。あるいは、内容を検討する代わりに罵詈雑言を浴びせるような学者と思えない「歴史学者」まで現れる。しかし第三者的に古田説を検討すれば、非常に説得力を持っていることがわかる。歴史学者たちのかつての反論というものも目にしたが、まともに著作を読んだのかというような代物で、僕でも回答できるという類のものだった。そういうわけで、僕自身は、九州王朝説がかなりの精度を持っていると考えており、おそらく今から数十年経ったら、古代史が少しずつ書き換えられていくのではないかと思っている(すでにそういう兆候はある)。
本書は、当時盛んに出版されていた朝日文庫の古田武彦シリーズ(今はほぼ絶版)の一冊で、九州王朝説が広範に渡って紹介されている。九州王朝説の基本はもちろん、中国歴史書の読み方、「倭の五王」の探求、七支刀や稲荷山遺跡の鉄剣についての解読、三角縁神獣鏡の問題(漢から贈られた鏡とする説に対する反論)、高句麗好太王碑の検討、磐井の乱の新解釈など、非常に多岐に渡る。あまりに多岐に渡りすぎていて、雑多な印象があり、そのための読みにくさはあるが、しかし古田の展開する新説の地平は広大で、同時に非常に魅力的である。また古田の文章も非常にわかりやすく、他の歴史家の本に見られるような読みづらさはほぼない。そのあたりも魅力である。
今回、この本を読むのは20年ぶりで、実は磐井の乱と稲荷山鉄剣の解読について検討し直してみようと思って本書に触れたのだが、結局全部読むことになった。古田武彦の著者はかなり読んでいるため、概ね全体像は把握していたつもりだが、まだまだ身に付いていない箇所が多かった。古田武彦自身は5年前に亡くなったが、彼の九州王朝説の輝きは消えることがない。