古代史の十字路

古田武彦著
東洋書林

驚嘆! 万葉歌がきらめきを増し始める

 古田武彦の書には結構驚かされ続けているが、この本もまた格別である。

 1994年に刊行された『人麿の運命』に続き、『万葉集』の歌について、多元史観に基づいて解読する。また『万葉集』自体についても批判し、『万葉集』のオリジナルの書の存在を論証する。

 『原・万葉集』と呼ぶべきこのオリジナルの書は、九州王朝、つまり7〜8世紀に滅びた倭国で作られたもので、これには神代の時代の歌まで収録されていたが、現在の『万葉集』つまり『新・万葉集』にその多くが取り込まれているというのが古田説である。そして、『原・万葉集』の歌は、『新・万葉集』の第一巻、第二巻に残されているが、詞書きなどが大和王朝の歴史観に従って変更されているため、詞書きを二次資料、歌を一次資料として、歌本来の姿からその解釈をしなければならない、詞書きについては決して100%信頼することができないという視点である。

 このような歴史観、万葉集観に沿って、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」の解釈から始まり、第一巻冒頭の「もよ み持ち 掘串ふくしもよ」の歌、「春過ぎて夏きたるらし白妙しろたへの衣乾したり天の香具山」など、『万葉集』収録の約40首に対して独自の解釈を施している(その他にも『古事記』、『日本書紀』、『古今集』の歌も収録されている)。そしてそのことごとくが素晴らしい解釈になっており、元歌の退屈な印象が劇的に変わってしまうのである。

 たとえば、柿本人麿の「大王は神にしませば天雲の いかづちの上にいほりせるかも」という歌も、従来の解釈では「大君は神でいらっしるので、雷の上に仮宮をお作りになっていらっしゃる」というような解釈で面白くもなんともないが(著者はこのような解釈では「阿諛あゆ追従ついしょうである」という)、古田説では、白村江の戦いの敗戦で荒廃した倭国の惨状を歎いた作者が、九州王朝の歴代皇帝が神として祀られている雷山に対して、この惨状がお目に入りますかと問いかける歌になるため、とたんにインパクトのある歌に変貌する(ただこの解釈については、100%同意することはできない)。

 ではどうして、現在のような『万葉集』解釈がはびこっているかというと、大和王朝一元史観により、あらゆる地名を大和周辺に割り当てていること、歴史解釈が『日本書紀』に従ったものになっているために古代の対外関係が正確に把握できていないこと、『万葉集』で使われている漢字(万葉仮名や通常の漢字)の解釈が江戸期から(契沖、賀茂真淵や本居宣長以来)恣意しい的に行われているため(自分の解釈にあわなければ適宜変更して良いとされている)に元歌が著しく歪められていることなどを著者は原因として挙げている。

 著者の解釈に従うと、元歌の言葉が自然に頭の中に入ってくることが多いというのも特筆すべきである。たとえば「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」については、壱岐にある天の原(大陸に渡る途上)で後ろを振り返ると春日にある三笠山(倭国の首都付近にある象徴的な山)に出ている月が見えるという望郷の念がストレートに表現される。通常の解釈では、奈良の地名(低山の三笠山)が比定されるため、何だかスッキリしない印象であったのと対照的である。また「天の原ふりさけ見れば」は元歌があり(巻二・一四七「天の原振り放け見れば大君の御壽みいのちは長く天足らしたり」:〈白村江の戦いに出陣する人が祖国を振り返って詠んだ望郷の歌〉というのが著者の解釈)、この歌は本歌取りの歌になっている。

 また、「春過ぎて夏来るらし白妙の衣乾したり天の香具山」に登場する天香具山が、奈良にある香具山ではなく別府の鶴見岳という解釈は実に見事で、おそらく決定版ではないかと思われる。

 春の終わりに鶴見岳の本尊である火男火女ほのおほおめ神社(祭神:火之加具かぐ土命)の社殿に辿り着いたとき、目に飛び込んだものが「衣のほされた姿」だった、それを見て作者は「まだ春だと思っていたのにもう夏が来たんだ」と感じたというのが著者の解釈。これまでは、奈良の天の香具山で干された白妙が麓(藤原京)から見えたと解釈され、一方で香具山は小丘で麓から見るのは無理があるとされていたが、鶴見岳に比定すれば(これについてもしっかりした論証がある)随分明瞭になるという印象である。歌自体もごく単純で、無理にひねった形跡がない。ちなみにこの歌、解釈がスッキリしなかったせいか、新古今集に収録されたとき「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」という風に変更されている。

 どの歌の解釈についても、慎重に論証を進めており、決して単なる思いつきでないことも重要である。天香具山を鶴見岳とし、三笠山を福岡県春日市近くのみかさ山(現・宝満山)に比定したことについても、詳細な説明がある。この論証には疑問を感じる箇所もなくはないが、少なくとも今の万葉歌の解釈よりよほど論理的と言える。そのあたりは他の古田武彦の著書同様、古田説の真骨頂で、それが大きな説得力をもたらすのである。

 『万葉集』歌の解釈にあたり、現在の一元史観の歴史解釈を見直した上で、原文を尊重しながら自然な解釈を行うというのが著者のアプローチで、これにより、今まで曖昧でわかりにくかった万葉歌が自然に理解できるようになる。つまるところ、これは今までの万葉解釈を根底から覆す画期的な方法論ということになる。同じアプローチで『万葉集』の第一巻、第二巻の歌をことごとく解釈し直してほしかったが、その後、こういった新発表はあまり見られず、そのまま著者は永眠することになった。新しい万葉学者たちにこの新しい方法論を踏襲して新解釈を提示してもらいたいところだが、いまだに古代史界は一元史観に支配されており、まったくもって進展していないところが嘆かわしいところである。当然万葉歌の解釈も旧態依然としたままである。

-日本史-
本の紹介『人麿の運命』
-日本史-
本の紹介『壬申大乱』
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本の紹介『「邪馬台国」はなかった』
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本の紹介『失われた九州王朝』
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本の紹介『盗まれた神話』
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本の紹介『「風土記」にいた卑弥呼』
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本の紹介『日本列島の大王たち』
-日本史-
本の紹介『法隆寺の中の九州王朝』
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本の紹介『倭人伝を徹底して読む』
-古文-
本の紹介『「古今和歌集」の創造力』