壬申大乱
古田武彦著
東洋書林
ユニークな論だが試論で終始しているのが惜しい
壬申の乱の真相はまったく見えてこない
『人麿の運命』、『古代史の十字路』に続いて2001年に刊行された古田武彦の書。
全10章立てで、壬申の乱を扱う章が多いが、壬申の乱の真相を明かすという内容にはなっておらず、全編で一貫した歴史が描かれるわけではない。もちろん九州王朝説に立脚して歴史を解くという点では当然一貫しているが、タイトルから想起される「壬申の乱の実像」みたいなものが描かれるわけではない。
本書で取り上げられているのは、白村江の戦い(西暦662年)から倭国の滅亡(西暦701年)あたりまでで、その頃作られた柿本人麿の和歌について、現在誤った解釈がまかり通っていることを指摘し、九州王朝説の立場から新解釈を提示する。
最初の章では、日本書紀に登場している、持統天皇が31回も行幸したという吉野が、大和の吉野ではなく、筑後の吉野(吉野ヶ里周辺領域)であると主張する。そのため、吉野を歌った人麿の和歌も、舞台は筑後の吉野であり、大和の吉野が前提だとすっきりしない部分が見事に解消すると訴える。確かに説得力はあり可能性も高いと思わせるが、断定できるだけの証拠がないため、結局試論になってしまう。
その後も、日本書紀に詳細に記述されている、天武天皇が吉野に逃れた記録は、筑後の吉野で唐の使節(白村江の戦い後の占領軍)に謁見した記事であるという主張に加え、日本書紀の壬申の乱の記述が矛盾だらけでフィクションに基づいているという主張が展開される。こちらもユニークであるが、やはり試論レベルである。
他には、万葉集の人麿作のさまざまな和歌に対して、九州王朝説の立場から解釈を行っており、こちらも説得力はあるんだが、なにしろ決定打がないため、やはり試論レベルで終わってしまう。とは言え、倭国の王者として軍を率いて大陸に進出した明日香皇子が、白村江の戦いで大敗し捕らえられ、後に倭国に送還された、それが日本書紀で描かれる筑紫君薩夜麻であるとする説は斬新である。しかも万葉集の和歌とフィールドワークからそれを読み解いたというのは、古田武彦の本領発揮と言える。ただこちらもやはり試論で終わってしまうのである。そういう意味で、本書は非常にユニークな論が展開されているにもかかわらず、なにぶん決定的な証拠に欠けるため、結局、何とも言えないという読後感しか出てこない。前回読んだときの印象が薄かったのもそのせいではないかと今思う。
それでも、柿本人麿の和歌の解釈はかなり正鵠を射ているんじゃないかという印象は残る。今後の歴史学、万葉学に影響が残れば、実像に近い真実が見えてくるんではないかと期待するが、現実はそういうところから遠いと言わざるを得ない。
追記:
なお、倭国の王者として軍を率い大陸に進出した明日香皇子が、白村江の戦いで大敗し捕らえられたことを歎いた長歌であると本書で紹介されているのは、次の、人麿作の巻二・一九九番歌である。
かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神が原に ひさかたの 天つ御門を かしこくも 定めたひて 神さぶと 盤隠ります やすみしし わご大王の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和暫が原の 行宮に 天降り座して 天の下 治め給ひ 食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 吾妻の国の 御軍士を 召し給ひて ちはやぶる 人を和せと 服従はぬ 国を治めと 皇子ながら 任し給へば 大御身に 太刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を あどもひたまひ 斉ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き響せる 小角の音も 敵見たる 虎が吠ゆると 諸人の おびゆるまでに 捧げたる 幡の靡は 冬ごもり 春さり来れば 野ごとに 着きてある火の 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒 み雪降る 冬の林に 飃風かも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの恐く 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ 服従はず 立ち向かひしも 露霜の 消なば消ぬべく 行く鳥の あらそふ間に 渡会の 斎の宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひ給ひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし わご大君の 天の下 申し給へば 万代に 然しもあらむと 木綿花の 栄ゆる時に わご大君 皇子の御門を 神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の 麻衣着 埴安の 御門の原に 茜さす 日のことごと 鹿じもの い匍ひ伏 しつつ ぬばたまの 夕になれば 大殿を ふり放け見つつ 鶉なす い匍ひもとほり 侍へど 侍ひ得ねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 憶ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬りいませて 麻裳よし 城上の宮を 常宮と 高くしまつりて 神ながら 鎮まりましぬ 然れども わご大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天の如 ふり放け見つつ 玉襷 かけて偲はむ 恐くありとも
この長歌は、従来は(今も)壬申の乱を扱っていた歌とされていたが、本書では、実は白村江の戦の前哨戦の陸戦、「州柔城」の戦で敗北した明日香皇子(福岡県朝倉市の麻氐良布神社に祀られているという)を読んだ歌であるとし、歌の中に出てくる「和暫が原」は、百済にある倭射見が原で州柔城の戦の舞台であるという大胆な説をとっている。