風姿花伝 (現代語訳版)
世阿弥著、夏川賀央訳
致知出版社 いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ
現代人が書いたかのような古典作品
「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」という一連の本があって、要は古典作品をこなれた読みやすい現代文にして読んでもらおうという企画らしい。ラインナップはすでに20冊近くに上っており、中には中江藤樹や石田梅岩の本など、原文でもあまり接することのない、ちょっと珍しい著作もあって、実に興味を引かれる。一方で渋沢栄一や幸田露伴など明治の著者のものもあり、こういうのに現代語訳が必要かどうかはよくわからないが、読みやすい日本語であればそれに越したことはないという人々がいても当然で、それなりの需要はあるのではないかと思う。
で、今回僕が読んだのは、能楽者、世阿弥の芸論『風姿花伝』である。訳者は夏川賀央という人で、実業界の人らしい。どうして『風姿花伝』を実業界の人が訳すのかというと、『風姿花伝』が「「いかにお客に喜ばれる能を提供するか?」という面から追求された、「本格的なビジネス論」でもあ」るかららしい(本書「まえがき」より)。何でもかんでも自分の仕事に直結させようとする実業界の人々の考え方にはうんざりするが、しかし訳という部分だけに注目すれば、割合うまいこと訳してあると感じる。現代の日本人が書いたものではないかと錯覚するぐらい、こなれた文章が続く。中には「世間のニーズ」とか「メロディーをアレンジして」とかかなり思い切った訳語もあって、思わず原文を確認してみたいと思ってしまうが、しかし読みやすいのは確かで、読ませることを優先するのであればこれもありだと思う。
ただし内容はあくまで芸論であり、これをビジネス論として読むのは少々無理があるような気がする。またそういう捉え方はしない方が良いとも感じた。あくまでも世阿弥の考える能楽・芸能論である。そのため内容は舞台の話中心であり、役者には「花」が必要だとか、その「花」のために修養するのだとかいうことぐらいしか、頭に残らなかったのも事実。そもそも『風姿花伝』自体が「家」に代々語り継がれた門外不出の家伝書だったわけで、それをどう読むかはもちろん読者の勝手ではあるが、やはりあくまでも芸談である。その点は確認しておきたいところである。そのためかどうかわからないが、内容がピンと来ない箇所もあり(詳細な注釈が欲しいところである)、文章の展開がスムーズに入ってこない部分もあった(原文のせいか現代語訳のせいかはわからない)。とは言っても全般的な読みやすさはピカイチである。そういう意味で、このシリーズの趣旨にピッタリ合っていると思う。
表紙に「91分で読めます」と書いているが、大きな文字で印刷された160ページの本なんで、あながち外れていないかも知れない(僕自身は2時間以上かかったような気がする)。『風姿花伝』という難解そうな本(実際の内容はかなり具体的であってそれほど難しいものではない)に触れてみるには絶好の手段なのではないかと思う。