大江戸テクノロジー事情
石川英輔著
講談社文庫
江戸の技術の高さもすごいが
著者の現代文明批評もすごい
大江戸ブームの火付け役である石川英輔の著書。『大江戸えねるぎー事情』に続く『大江戸』シリーズ第2作で、こちらも元々は、原子力文化財団のPR誌『原子力文化』に2年間連載したエッセイをまとめたものらしい。
今回、25年ぶりにこの『大江戸事情』シリーズを読み直しているところだが、この『テクノロジー事情』も『えねるぎー事情』同様、強烈なインパクトを与える。
本書で紹介されるのは、タイトルからわかるように江戸時代の技術で、「大小暦」、「和算」、「時刻と時計」、「からくり」、「富士塚」、「錦絵」、「銃と刀」、「天文学」、「馬」、「錠と鍵」、「花火」、「朝顔」が各章のテーマになっている。その他に目先の合理性に関するエッセイが2本と、中村桂子(早稲田大教授)との対談で、計15章立てになっている。
江戸のテクノロジーはどれもユニークで、当時のヨーロッパの先進的な技術と比べても遜色ないと言えるほどではあるが、江戸の多くの技術に共通しているのは、ことごとく遊びの方向に行って、応用科学に進んでいないことで、そのためにヨーロッパ的な「科学」が発展していない。永らく平和が続いたために武器も発達せず、言ってみれば「平和ボケ」の時代が続き、ヨーロッパ的な方向性とまったく異なる方向に技術が進んでいったという、世界史の観点から見るとかなり特異な時代である。だがそのために、ヨーロッパ・アメリカ型の不可逆的な環境破壊が行われず、持続可能な世界を築いていたわけだ。
それを考えると、江戸の技術は(現実世界の役に立たないという点で)非合理のようにも見えるが、長い目で見ると(持続可能という点で)実は合理的であって、一方の近代合理主義に裏付けられていたヨーロッパの技術が結局自分たちの住環境を破壊し自らを苦しめるという非合理性を秘めているという逆接的な結論になる。これはヨーロッパの技術を受け継いでいる現代の我々の生活にも当てはまるわけで、それを考えると、これまでのようにヨーロッパ・アメリカ的なものを模範にするのではなく、江戸的なものも見直す価値があるのではないか……というのが本書の一貫したテーマである。
こういう論調であるため、江戸の技術を詳細に紹介する本でありながら、あらゆる部分で現代文明に対する批判が展開され、著者の哲学が披露される。そういう意味で読者に大きなインパクトを残すのである。
『大江戸えねるぎー事情』でこなれてきたせいか知らないが、前の書以上にこなれた小気味良い読みやすい文章で、展開される文明批評も、辛辣だが理に適っていていちいち頷かされる。渡辺京二の『逝きし世の面影』を髣髴させるような記述もあるが、実際はこちらの書(『大江戸テクノロジー事情』)の方が先に出されている。ということは、渡辺京二がこの本の影響を受けている可能性も大だと言える。本書は、具体的な記述が中心でありながら、一本芯の通った視点が貫かれており、本としても大変完成度が高く、価値が高いと思う。