大江戸ボランティア事情
石川英輔、田中優子著
講談社文庫
江戸時代は現代ほど封建的ではなかったようだ
大江戸ブームの火付け役である石川英輔と法政大学(執筆当時、教授)の田中優子との共著。『大江戸えねるぎー事情』、『大江戸テクノロジー事情』、『大江戸リサイクル事情』に続く『大江戸事情』シリーズ第4作という位置付けである。
ボランティアという視点で江戸社会を見ていくというのが本書のテーマだが、江戸社会は基本的に、金銭を媒介としない労働が社会の要素として組み込まれた(いわば「助け合い」の)社会だったため、そもそも「ボランティア」という発想やそれに相当する言葉がない。タイトルに「ボランティア」と付いているにもかかわらず、今日的な意味での「ボランティア」は実はなかったが、ほとんどは人々が自主的に社会活動を行っていたということが本書のテーマになる。
本書は10章立てで序章に始まり、長屋暮らし、教育制度(厳密には制度ではなく慣習に近い)、消火活動、江戸の旅、村の行政、町の行政(大家の役割)、連(一種の同好会)、隠居の慣習と続き、最後は終章で終わる。序章は石川英輔と田中優子の連名で、その後は田中、石川が一章ずつ担当し、終章は両者の対談である。
内容はおそらく、これまで日本史を学んできたほとんどの日本人にとって驚きの連続で、我々の歴史的先入観がいかに事実を反映していないかがよくわかるものである。たとえば寺子屋などの教育システムはほとんどが政府(江戸幕府や藩)の関与していないところで展開されていた、つまり民間で勝手に行われていたなどという事実にまず驚く。江戸の教育システムが、かなり広く行き渡っており、相当数の子どもたちがこのような手習いに通っていたことがわかっており、そのために当時の世界水準から行くときわめて高い識字率が実現していたにもかかわらずである。それがほとんど(すべてと言って良いと思うが)民間で運営されていた、しかも師匠はボランティアに近いものだったというのは驚愕の事実である。現在の制度に慣れきっている我々からすると、そんなことが可能なのかとも思うが、実は消防制度や村・町の行政制度に至るまでほとんどが似たような感じなのである。行政府はほぼ手を出していない(それだけの余裕がなかったようだが)どころか、新しく導入する制度については村や町と相談するということも多く、これは今で言う自治というものではないかということになる。このようなシステムを根本から支えていたのが市民の参加であり、そういう意味でも高度な自治が行われていたと考えられる。江戸時代は封建時代と言われることが多いが、こういったことを考えあわせると、明治や昭和の方がよほど封建的であることがわかる。
また文化面でも、連という同好会があちこちに存在し、市民が身分を超えて(武士も町人も関係なく対等に)文化活動にいそしんでいたというのも面白い。こういった活動の中から錦絵(カラーの浮世絵)が生まれ、俳句や狂歌が生まれたという話も興味深いところで、このような活動に行政府が介入するということも当然ない(口を挟んで難癖を付けた「改革」もありはしたが)。多くの市民が好き勝手に活動し、それが高度な文化を生み出すのであれば、これこそ「文化程度が高い」ということになりはしないだろうか。
とにかく全編驚くことばかりで、江戸時代の旅ブームについてもにわかに信じがたいことが次々に紹介される。本書を読むのは実は今回二度目で、ある程度記憶に残っていたが、どの章についても細部に渡った説明があるため、目新しく感じることは実に多かった。何度読んでも堪能できる書ということになろうか。同時に、石川英輔は文章が上手いということも改めて実感することになった。