ビギナーズ・クラシックス 和泉式部日記
川村裕子編
角川ソフィア文庫
和泉式部に興味を覚える
古典作品、『和泉式部日記』のダイジェストにして入門編。
『和泉式部日記』は全35段構成の「和泉式部による日記」であるが、本書ではいくつかの段を全体からまんべんなくピックアップして、各項ごとに現代語訳、原文、解説という順序で並べている。非常に良くできたダイジェストである。
『和泉式部日記』は、恋人の為尊親王と死に別れた和泉式部が、その後その弟の敦道(あつみち)親王と恋に陥り、その恋の模様を書き綴った「日記」である。「日記」ということになっているが、本人以外の心情なども記述されていて多分に物語風である。そのためもあってか、かつては『和泉式部物語』と呼ばれ、別人による創作と考えられていた。いまでも日記説と物語説、両方あるようだが、本書の編者、川村裕子は日記説の立場を取っている。つまり敦道親王との恋愛が決していい加減な遊びでなかったことを、死んだ敦道親王(和泉式部と付き合うようになって数年後に死んでしまう)の名誉のために世間に示す目的で書いたとする。このロマンチックな説もそれなりに説得力があるとは思うが、なにしろ和泉式部についてはあまり記録が残っていないため、いまだわからないままである。そもそも和泉式部は当時、世間から恋多き女とされ、非常にスキャンダラスな存在だった。その和泉式部が今度は、死んだ恋人の弟、しかも皇子と付き合うようになったというんだから、世間は黙っていない。だが本書から窺われる和泉式部は恋愛に対してきわめて真面目で、それは敦道親王も同様。そしてそのときにやりとりされた和歌や手紙も非常に美しいもので、それがためにこの『日記』が文学的な価値を持つに至っているわけだ。だから死んだ恋人、そして自分の恋愛が、決して世間で邪推されるような浮ついたものではなく、きわめて真剣なもので美しいものであったことを世間に示すという動機は確かに説得力がある。一方で、残された和泉式部の歌を基にして、そこに物語の風味を加えた歌物語という見方もそれなりに説得力がある。いずれにしても記録が少ないんで、どちらが正しいかはにわかに断定できない。
編者は、あくまでも『和泉式部日記』を美しく理想的な恋愛の吐露として捉える。お互いに好意を持っていながら世間の目を気にしてなかなか進展しない状況から、少しずつわかり合い、終いには和泉式部が敦道親王の家に入ってしまうところまで行く。ただし立場はあくまでも女房(召人)としてであり、妻や愛人という立場ではないところがかなり複雑である。そもそもこの2人は身分が違いすぎるのである。だが正妻である北の方はこのことが原因で家を出てしまう(後に離婚)。こういう過程が、美しい情景描写や心理描写、和歌で彩られる。プチ源氏物語みたいにも思える。全編、互いに好意を持つ男女の甘い言辞が散りばめられており、恋愛ものが好きな人にとってはかなり面白い素材なのではないかと思う。ただし、省略や本歌取りなどが非常に多いため、平安時代の貴族社会や和歌についての教養がかなりないと原文で読むのは相当難しいと思う。一方で原文に美しい修辞が散りばめられているため、現代語訳で良いかというとそれだけだともったいないという気もする。それを考えると、本書みたいな体裁は、入門書としては理想的である。
僕自身、『和泉式部日記』にはかなり興味を持ったし、和泉式部自体にも非常に興味が湧いた。しかしなにしろ、先ほども言ったように記録が少ないのである。和泉式部は、和歌は多く残されているが、スキャンダルを除けば(スキャンダルについては『大鏡』や『栄花物語』に記述があるらしい)同時代の記録はあまり残っていない。『和泉式部日記』が唯一最大の記録ではあるが、これも歌物語、つまりフィクションの可能性を残しているわけで、実像はなかなか見えてこないのである。こういうような一連の知識も本書を読めば身に付く。和泉式部に対する関心も呼び起こさせるし、彼女の和歌の魅力も十分伝わる。そういう意味でも、やはり(何度も言うが)格好の入門書と言える。『ビギナーズ・クラシックス』シリーズの中でも、もっとも水準の高いものの1つである。