ビギナーズ・クラシックス 御堂関白記
藤原道長の日記
藤原道長著、繁田信一編
角川ソフィア文庫
藤原道長の素の声に(少しだけ)触れる
『ビギナーズ・クラシックス』シリーズは古典入門としてはなかなか優れた書籍群で、古典から一部分を抜萃して(ものによっては全部)その訳文を付け、さらには解説まで付けるという構成になっていて、入門書として配慮が行き届いている上、大変読みやすい。一部分とは言えかなりの分量が抜萃されているため、原著を読んだような気になるし、またその気になっても良いのではないかと思えるものも多い。
このシリーズ、人気が高いせいか、有名で一般的な古典作品はほとんど網羅されているが、それに飽き足らずというのか、最近ではかなりマニアックなラインアップになってきた。この『御堂関白記』もその良い例で、他にも『権記』(藤原行成の日記)や『小右記』(藤原実資の日記)まで出ていて、こういった書は他の古典シリーズでもなかなかお目にかかれないような作品群で、相当珍しいセレクションと言って良い。ただ、あまりに珍しいせいか、『御堂関白記』は現在品切れ状態で、この分だと『権記』と『小右記』も早めに入手しておかないと品切れ、絶版という行程を踏むのではないかと危惧している。
それはともかくこの『御堂関白記』である。原著は藤原道長の日記であり、日記といっても『土左日記』や『蜻蛉日記』、『更級日記』などの身辺記述の日記とは趣が異なり、要は宮中行事の記録がメインになる。というのも、慣例を踏襲するのが当時の上級貴族である公卿の役割であり、そのために、行われた行事や慣例を記録に残して後世(主として自分の子孫)の役に立てるというのが彼らの日記の本来の目的であって、それがために女流作家の日記のような心情表現はほとんど出てこない。しかもすべて漢文で書かれている上、藤原道長の場合、誤記が非常に多い。漢文に精通していないと本書の編者は見ているが、文法や漢字の間違いが非常に多いのは確かである。明らかにメモレベルで、後世の参考のために子孫に残すというのが唯一の目的であることが窺われる。逆に言えば、文学的な面白さは皆無で、史料としての価値以外はあまり望むべくもない。ただ当時の上級貴族の有り様がよく見えてくるのは確かである。
本書に出てくるのは、『御堂関白記』内の最古の記述(長徳四〈998〉年7月5日、道長33歳)から最後の記述(寛仁四〈1020〉年6月29日、道長55歳)までで、合計で200近くの項目が紹介されている。例によって現代語訳、原文(読み下し文)、原文(白文)、解説という順序で記載されている。内容は先ほども書いたように、あまり取り立てて面白い話があるわけではないが、当時の物忌みや方違え、つまり方角へのこだわりや穢れへの異常なほどの恐怖が今読むとなかなか興味深い。藤原実資らの反道長派との確執にも触れられており、そのあたりも見どころの一つである。
あまり読んで面白いというようなものでもないが、日本史に興味がある人であれば『御堂関白記』で道長の素顔に触れるのもありではないかと思う。(やや深読みが過ぎるきらいがあるが)解説も非常に充実しているため、読み通すのもあまり苦にならない。